創作学についての説明②

世界には、宗教、人種、国の違いなど、様々な人が居て、様々な考え方があります。

その中でおこる差別問題‥。悲しいことですが、多くのことであるでしょう。

特に身近なものでは、ネット。炎上とか、意見の違いなど。

それらは避けられないことなのか‥?

僕はそう思いません。創作的思考、それを身につけることで、きっと許し合いの精神がうまれると思うんです。

たとえば、絶対的な変えようのない考え。天動説だったりとか、地動説。

パラダイムシフトにより、今は地動説の時代でしょう。しかし、天動説が事実であってもいいという考えです。それは、創作であるならば、OKです。

この考えを利用すれば、それらの多くは解決すると思ってる。

相手を否定する必要なんてない。自分の考えが本当に正しければ、すぐに分かるでしょう。

なのに、それに反応してしまえば、考えてることは自分では全然信じてないことになってしまう。

相手が本当に嘘だと思うのなら、否定なんて、する必要ないんです。

たとえば、漫画や、ファンタジー系の作品に対して、この世界は間違ってる。存在しない。なんて、一々、言う必要があるのでしょうか?

自分を信じること。落ち着いて考えて、それで意見を言う事。

相手が嘘である事実も、本当である事実も創作で言えば存在していいんです。

さらに言えば、複数の考え方も存在していい。

前に言ったかもしれませんが、相手の考えがとても自分の思いと反してる場合、苦しいと思ってしまう場合‥。

価値観の違いだからと、離れていってしまうのか‥?

その人にとらわれないことも大事ですが、心的な面で落ち着くためには、さっき言ったような、全く逆の意見、もしくは中立、その他含まれる色々な意見。

それは同時に存在していい。一つが正解なんて思う必要はないんです。人間は沢山間違う生き物です。もしかしたら、正解も気付かないうちにあるかもしれませんが、多くの場合で間違う。

どちらかというと、創作的な生き物です。

あまりに正解、間違いが重要視される空間に居てしまうと、苦しくなってしまうかもしれません。

自由に、これも良くて、これも良い。みたいな空間。そういう場をつくること‥。

それが創作学の一つの目的でもあります。

創作学の大事な一つ。

許しということ。これは、もし、知識が足りなくても創作という範囲内であれば、話し合えるという許しの場を設けることが他の目的の一つでもあります。

学問に関して、知識がないから話してはいけない、間違いがあったら、信憑性にかけるとか色々あるかもしれません。

しかし、感想を言う、正解かもしれないし、間違いかもしれないを話す(正解要素多め、中間、間違い要素多め)、間違いを話す。それらが全てに於いて、絶対ダメという訳ではないのです。

許し合うこと。それができる環境が必要だと思うんです。それは一人が正しいとか、この人は、絶対的に間違ってるとかじゃなく。

僕はこれを創作会と読んでいます。

自由に会話が出来、何言ってるか理解ができる範囲でなら許し合う。結局、人間ですから、創作的な、一方からの見方で、それを信じてしまうことがあります。

なので、そういう一つが正しいと思わない、そんな空間を作り、色々新しい考えを作り出していくこと。それこそが、未来に繋がる、みんなが精神的に安全で暮らせる社会になっていくと思うんです。

ネットで話し合うとよくあると思います。

議論内容とは異なる、言葉の意味が違うなどの話。それって、大きな話とは全然違うことで、些細な点でしかありません。

重要なのは、その内容について話し合うこと。確かにその指摘はいいところではありますが、それをしてたら、永遠に話は進まないし、勉強をずっとして、完璧でなければ話し合えないってことになります。なので、先延ばし、先延ばしになってしまう。

学問的であれば、それは大切です。しかし、許し合いの空間。それも同時に大切だと思うんです。学問に対して、色々な方向から見たら、新しい発見もあると思います。間違いだったり、前に話し合って違うことだったりするかもしれません。

しかし、考えてみてください。

天動説って考え方、面白くありませんか?

創作では、とても面白いものになる可能性を秘めてるものなのです。考え方を全て否定する必要なんてないんです。

他のところで使える可能性なんていくらでもある。

この点からも、僕は許し合いの空間。それがとても必要だと考えます。

そして、ネットで、今考えて思ったことが一つあります。

それは勉強ができない人、悲しいものにハマってしまう人のこと。

偏ることは必ずしも悪いことではありませんが、どうしてそうなってしまうんだろうって‥思うことがあります。

一つとして、失敗することをおそれてるのだと思ってます。新しい挑戦をするのが怖い。そう思うのは、スポーツ、勉強だろうとなんだろうとそう。

できなくなってしまって、結局、同じことの繰り返しになってしまう。自然と、決められた間違いとかにいきついてしまう。

僕自身がそうですから。

だからこそ、必要な否定しない空間、優しい空間というもの。創作学はきっと、人間の抽象的な何かを救ってくれると信じています。

とりあえず、ここまでで終わりです。