創作学についての説明⑨

少しずつ、創作学についてからずれて来た気がしますが、今回も語っていこうとおもいます。

10代はこういう人間、20代はこういう人間のように、決めつけがあるのではと思いました。

統計学でも、そうですが、その情報だけでは、統計から外れた人は救えない。多かれ少なかれ、誰だってすべての統計の中の一つや2つに外れたところがあってもおかしくはない。

もちろん、外れたところを、すべての人間が注目して尊重するとか、自分も外れた人間に無理になる必要はないです。

逆にDVとかに対して、みんなもやってるからと統計的に見たら少ないはずが、多く見積ってしまうことはもちろん良くない。

しかし、他者が、これは間違ってることだよと言っても、大体の人は相手の奴隷のように従うなんてこと、進んで望むとは思えないんです。

だからこそ、価値観というものを変える必要がある。それは、正解と、間違いに対しての価値観の変化。

人間にとって、学問のように、正解か、間違いかを中心とするのではなく、物語のように、この世界ではこれが正解、これが間違いのように変化を与えることによって一つしかないと言うような考えからそらすこと。

例えば、勉強に於いてもそうですが、全然はかどらない‥と思っても、気分転換しようみたいに新しい何かを追加してみるとか。

これしかやってはいけないと一つの考えで思い込んでしまうと、自分を苦しめることになってしまいます。

だからこそ、必要なのはそこから少しでも離れてみること。つまり、複数の考えというものを、自分の中に認めてあげるということなんです。

僕自身、なんで繰り返してしまうんだろう‥。とか、なんで続かないんだろうって責める人です。しかし、それによって何か得られたかと言ったら、そういう訳ではない。

そればかりか、繰り返して、何も進展がない。

だからこそ、正解、間違いのない価値観が必要になる。

コスパ、タイパは嫌だと思う反面、それを全否定されると逆に困ってしまう。

自らの中に、その考えはあってもいい。しかし、他人に求めるのはどうなんだろうって話でもある。

一つに縛られず、新しい考えをそうぞうする。もちろん、それが浮かんだからと言って、それにとらわれる必要はない。

こうすれば絶対にこうなるという保証なんてどこにもないですから。

自由想像。僕の言うそれはある種、楽をしない複数の考えを認めるもの。

意見が違っても、いいところをお互い見あえて、悪い部分は2つの異なりで正していく。(自分が悪いと思うところなど)

相手の意見を、お互い取り入れることで、少しずつより良い方向に進んでいくこと。

創作学とは、【ゆるし】の学問です。

一人一人が、自分にあった価値観を持ち、他から渡されたそれらを持たず、より良く暮らしていくこと。

創作学は抽象的だからこそいい。

有名な名言だって、抽象的なものが多いからこそ、人に救いを与えるのだと思ってます。

偏らないゆるしを、心の中に与えていきましょう。

そして、明るい未来を、一人一人が想像していければ、きっと、明るい世界が待っている。

僕はそう信じています。

ここまでで終わりです!