物語の中での考え

今日はこれについて話していきます。

僕は物語の中で、中立主義だったり、皆無主義とかよく分からない(自分でも)考えを作ってきました。

これらについて話していきたいと思います。

そもそも、これは何なのか?

人が生きるために必要な一つのあり方だと思っています。

特に皆無主義は存在しないこと。という考えです。

分かりやすい話だと、奴隷制。そういうのって存在しない方がいいんじゃないか?みたいなことです。

完全に存在しないこと。

そして、なくすためにはどうしたらいいか?

それが一つ、対義語どちらもなければいいんじゃないかというのが、ここで話した皆無主義です。

上で書いた奴隷制、その対義語は何でしょうか?自由さ?

その対義語もなければその両者は存在しないものとなります。

けれども、そんなこと不可能ですね。

だからこそ、中立主義という考えを、他で書きました。中立主義とは、どちらも存在しなくすることは不可能だから、真ん中を目指そうみたいな考えです。

あくまで、苦しみにおいては、皆無主義は理想で。(対義語関係が悪いもの同士ならどちらもなくていいじゃないかみたいな)

中立主義に関しては、お互い共存するみたいな考えです。

僕はどちらもいいと思ってて、お互い、より良く使えれば理想のものになると思うんです。

特に、これは、現実世界でもよくあると思ってて。

意見を持った人。たとえ、その他の悪いものがあったとしても、いいものがあるならそれは大事にすべきだと思うし、取り入れられるところは取り入れていくことが大事なんじゃないかなと。

無理なものは無理だし、できることはできる。結局、人間なんです。できないことは絶対的にあるし、できることはできるんです。

それなら、お互い取り入れていけたらいいんじゃないかと思います。

そこで、考えたのが、創作学。

最初に出てきた、万物の根源は知識という考え、全てが正解で、全てが間違いということが絶対的にできる場所。

それこそが創作学。

上で書いた、中立主義、皆無主義の考えも同時に存在していい、分かり合えたらいいなと。

反対の意見であれ、取り入れられるものがあるなら取り入れていくのは大事だと思うんです。

そこで重要になるのは矢張り、否定しないこと。相手の意見が気に入らないなら、自分で意見を(間接的に否定するような)作ればいいんですし。

それが本当にできるのは創作学かなと思います。

そして、この中立主義、皆無主義に関してですが、創作学の一部になってるんです。

(※もちろん、学問も全ては創作の一分類ともとれるのですが。)

特に中立主義というのは、物語にとって欠かせない要素となります。

それは“悪”を作るのであれば、“正義”を作らないといけないところです。

お互いがあってはじめて成り立つもの。

中立主義的なところかなと思います。

そして、皆無主義。

物語において、自分の嫌いなもの。居てほしくないもの。それを完全に存在しないものとできる。

戦争だって、争いだって、嫌いならその物語の中に入れなければ、その中には絶対的に存在しないものとしてあれる。

そこら辺だって、絶対に書かないといけないものではないんです。

創作ってそもそもそういうものでしょう。

 

けれど、いつの間にか、書かなければと思ってる。そういう面も避けられないのが物語でもあるのかもしれません。

けれども、絶対的に創作は自由である以上、何かを無理にしたり、こうあるべきと思い込む必要もないように感じます。

 

あくまで、創作は優しさであり、何か特定のものではないように思います。

これは僕の個人的な考えでしかないんですが、物語というのは、作り終わってしまえば、創作ではないと思うんです。

何故かと言うと、それをどうしようと、新しさがうまれづらくなるからです。

すごい人って言うのは、その中に想像性を残しておいたりするのでしょうが、矢張り、考える余地や、そこから新しい何かがうまれなくなると創作とはいいづらいのではないかと思います。

では、創作とはそもそも何なのか?

自由なものです。

自由とは何か?

僕が一つ考えてるのは、全てが同時に共存できるもの。考えですらそう。何もかもが同時に存在できる。

それは中立主義につうづるところがあります。対義語ですらどちらも存在していいと。

この世界を一つの物語と考えてみてください。

他にもあるかもしれません。

例えば物語の世界。その物語の世界すらも、一つの物語と捉える。

全てが事実であるならば、自分の考えも、認めてくれる世界はあるということです。

その世界では、正解であっても、違う場所では間違いになること。

そういうことってありませんか?

だからこそ、全ては正解であり、全ては間違いであるということも事実になる。

だからこそ、すべてを認めてくれる。創作学は優しさになるのです。

 

自分にとって苦しい意見、何故、そればかりを見ないといけないのでしょうか?

自分にとって興味のないこと。何故、それを考えないといけないのでしょうか?

だからこそ新しい考えを、自分にとって都合のいい考えは外側ではなく、自分に求めること。そして、とらわれないこと。

全てが存在して良ければ、反対意見だったとしてもとらわれることは少なくなるでしょう。

興味のないことは無理に覚えても仕方ありません。存在しないものとして扱うことも時には必要なのかと思います。

こんな言葉もあります。

世の中には知らないほうがいいことも沢山ある。

僕は創作学という考えに期待しています。

きっと、この世界をより良くしてくれる考えだと。

ここまでで終わりにします。