僕が思う、理想について、今回は書いていこうかなと考えてます。
創作を交えながらよくわからない抽象的な説明もいれながら話していきます!!
まず、最初に言いますが、僕の考えている理想とは、この世のすべての人の理想。その集合体。それこそ、理想なのではないかと考えています。
それはあくまで自分一人の考えではないということ。
そして、創作なので、一つに定まらない。全てが存在していいというもの。それはあくまで借りの姿であり、今、現在での考えでしかありません。
長くなりましたが、早速、書いていくこととしましょう。
したいこととしては、絶対的なものを“創作”にしたいということです。
これはどういうことか?と言うと、宗教、お金、学問などなど、様々、絶対的な真理とかそういうものはないと言われてる現在でも、絶対的なものっぽく見えるものは沢山存在してるんです。
絶対的なものはないと言われてるのに、そういうものが存在してしまってるってより良いことじゃないのでは?と思うんです。
そして、こういう絶対的なものは、人は狂わせてしまう。その部分がないとは言い切れないのです。
より良い部分があるからこその、負の部分。それぞれには、いいところがあるんですよ。けれども、逆に、その負の部分が補いきれない。
だからこそ、絶対的なものとして、“創作学”をおきたいと思ってます。
創作学はどんなものか。
全てが正解であり、全てが間違いである。その優しさを作れるものです。
絶対的な真理がないのなら、そういう考えもあっていいんじゃないか?ということです。
抽象的だからこそ、優しさに変わる。信じるものが分かりにくいからこそ、依存しづらい。
人はいつも、外側に求めてしまいます。けれども、本当に大事なのって内側なのではありませんか?
例えば、世間体を気にしてしまいますが、内側が駄目であれば、世間体を気にしても仕方ないように思います。
隣人を愛せよみたいな言葉もあります。
全ての人が内側を大事にできれば、問題は起こりづらいのではと。
だからこその創作学です。
これは自分にとっての優しさであり、全ての人が、自分の本当に気持ちに気付くことができる。
自分を見つめるものなんです。
分かりやすいもので、クレーマーとかあるでしょう。外側に求める。結局、それでは、自分の本当に嬉しいものに気付けないし、他人にも優しくはできないように思うんです。
自分の気持ちに本当に気付けるのは自分だけです。それは冷ややかでありながら、とてもいい言葉のようにおもってます。
絶対的なものを、外側のもの(芸能人だったり、お金だったり)におかず、創作学という、内側であり、自らで作り出せるものに置く。
そういう外側のものは、創作の次の二番目に置くでいいと思うんです。
ただ、創作(内側のもの)を大事にすればより良くなるのか?と言ったら、微妙なところはあります。
特に自分の意思の力でどうこうするというようなものなので、自分の意思がないと難しいです。僕自身、やりたいと思ってもできないことあるし、めんどいなみたいに感じることもある。
けれども、楽しい瞬間は沢山あるんです。
自分に都合いい世界だから当然です。
だからこそ、一番大事にし、二番目に外側も大事にする。
優先順位はなるべく、その創作を大事にしながら、外側も大事にすることを忘れない。それが重要なのではと思います。
外側に囚われず、創作学を大事にでき、外側も大事にできる。
それが一つ理想の姿と思ってます。
そして、人間関係について。
これは問題のように感じてますが、中立的に関われること。それがいいんじゃないかなと思います。
それはつまり、感情的依存をしないこと。
怒ったり、悪口いったり、愚痴ったり。なるべくそれが避けられたらいいなと思います。
そこでも登場するのが、創作学です。
物語の中では、悪役と正義の役が登場します。それはどちらも自分自身(作者)なんですよ。
2つとも共存すること。それが中立であり、偏らないそれではないかと思います。
創作的であること。どちらも存在していいみたいに思える。
次には学問について書きましょう。
創作であれば、学問は存在してはいけないのか?
そうではないと思います。
漫画には物語が沢山あるでしょう。重なってる部分はありますが、それらは無理矢理変えたりはない。
より良い部分は取り入れて進んでいく。
それって創作的じゃないですか?
僕は学問の一分野も全てが創作のように思ってます。
だからこそ、依存しすぎない限り(上で書いた通り、創作の次。二番目として。)進んでいくべきだと思います。
その人が求めている世界ならば、制限されたそれであっても楽しくやっていける。僕はそう思います。
次に仕事について。
これはなくなるまでは、本当に重要なことをやっていけたらと思います。
もし、なくなったのなら、(暇になったり)僕はしたいことがあります。
それは無意味なことをするということです。
自分で言ってる意味が分かりませんが、僕の書いてる物語。それって言うのは、他人にとったら価値のないものです。
大体の人はそう思うでしょうし、僕自身が、他の人にはないだろうな‥思います。
だからこそ、意味があるんです。
無意味なところにこそ、意味がうまれる。意味があるところには中々意味はうまれません。
だからこそ、何もすることがないときこそ、無意味なことにそれぞれが意味を与える。
これがとても重要なことと思ってます。
勿論、意味ないんじゃ‥と思ってしまいますが、逆に意味のあることって悪いことが多かったり、そもそも、いいこと自体もやろうと思いづらいんじゃないかなと思います。
例えば、悪いことした方がかっこいいとかいう価値観、人助けすれば逆に困ってないとか言われる可能性。
リスクをとってまでする意味が分からなくなってしまう。
意味のあること自体も、汚いとか、まずいものとか、お金を稼ぐだったり、そういうことすらも“意味あること”となってしまう。最近、〜ジョブって言われてるそれも、お金がもらえるという意味がありますし。
逆に意味のないことの方が、何か新しいものがうまれる可能性が出てくるように思えるんです。
そして、〜ジョブと言われてるそれと違い、自分で意味のあることとできること、そして、自分がなんとなくしたいと思ったらそれはした方がいいと思うし、自主性というか、自分でしたいからするみたいな主体性(っていうんですかね?)が大事にされるように思うんです。
だからこそ、その“無意味”ができる創作学は理想のように思ってます。
無限の知。それは創作学にありますよ。
ところで、物語の中ではこんなことを書きました。
創作学+哲学+道徳
この3つを合わせたい。
人間関係に於いて大事なんじゃないかなと。
道徳的なことは、悪いことに対して、いいことを考えられる力。
哲学は、現在に疑問を持つ力。
創作学は新しく何かを生み出す力。
その3つ(僕の勝手な解釈ですが。)があわさればより良いものとなると思ってます。
相手の考えを否定せず、自分の考えを主張できる。
相手がどれだけ悪くても、道徳的に、こんな考えもいいんじゃないかって言えたらより良い人間関係作れるのではと期待してます。
結構、話ずれたかもですが、これが僕の考える理想です。
色々考えて、読んでくれた方も、理想を目指せるといいなと思います。
ここまででとりあえず終わりにします。