悪口について

これについて語ろうと思います。創作を交えながら。

悪口ってあっていいのか?

なくなった方がいいのか?

存在する以上は無理になくそうとするのは無理でしょう。どんなに悪いことでも。

しかし、それ自体の意味とかは変えていけると思います。

この話をすると、意味を変えてはいけないみたいに思ってしまいますが、絆の意味が、動物を繋げておくロープとかそう言ったものだったのは知ってますか?

けど、今ではとてもいい意味になってますね。

変えてもいいんです。

なるべくは良い意味に変えたいと思ってます。

悪口良意味計画と考えているんですが。

例えば、僕は物語の中で、根性論について書きました。

それは、そもそも、根性論言うのって、外側の誰かに求めるものであったから悪なのであり、自分に求めるものだったら悪いものでないんじゃないか?ということです。

どんな言葉でも、いい意味に変えることはできるんです。人の考え次第で。

けど、悪い意味で、わざと使うのは望ましくないと思います。

というのも、差別とか。

〜って言う種族はどういう人間が多いとか。

別に逆の考えも存在していいじゃないですか。

それが、他のところでも言ってる創作学です。

思うことは自由なんです。口に出す必要は必ずしもない。

けれど、うっかりしたとき、口に出てしまうことがある。

そんな時こそ、創作学。

自由想像を人は認められている。誰がなんと言おうと、これだけは認められている。

もし、認められてないなら、何か悪いことを考えた時点で、人は死ななければならない、もしくは死んでいてもおかしくはないです。

宗教ですら、他の神を信仰すれば、絶対正しい宗教以外はみんな消えててもおかしくないじゃないですか?

けれど、残ってる。正しいところはあれども、間違ってるところも共存してておかしくはないんです。

だからこそ言います。

差別的な事が浮かんだとき、どうするか?

創作性を使うんです。

悪い感情が湧いたら、新しい何かをうみだす。僕はたまにしかできませんが、これができた時、考え方は変わる。

これは言えると思ってます。

例えで言うと、〜というグループに所属する人は悪い人ばかりだ。

それなら、このグループにはいい人ばかりだ。という考えを作り出す。

頭が悪いとかも、新しく、頭がいいというのも作り出していい。

この画像、何に見えますか?みたいな心理テストありましたね。

あんなふうに、複数の見方を認めてあげる。

人間にとってそれが重要なのではと思うんです。

悪口は存在してもいい。だけど、それにとらわれないことも重要なんです。

一つの考えしか認めない。それでは、悲劇が起こりやすいと思うんです。

悪口をなくそうとしても、その人(言った人)は自分を否定しなければならないってことになります。

けれど、そんなやり方では、永遠に悪口はなくならない。

すべてを認める。

そんな優しさこそ、本当に悪口をなくせる方法なんじゃないかなと思います。

そして、負の感情については、矢張り、道徳的には望ましくないんじゃないかなと思います。

特に、相手が傷付いてしまうかもしれない。

創作学的思想であれば軽減できるかもしれませんが、全てには中々できないし(そのときは忘れてるところとか)、ふとした時に浮かんでくることもあるので。

人間には僕の考える創作性が少ないと思ってるので、負の連鎖が起こりやすくなる。

だからこそ、新しく考えをうみだせる創作性。悪いことを考えるのは仕方ないことです。

けれど、それにのまれないこと。とらわれないこともやっぱり大事なことです。

悲しいこと、嫌なことばかり考えるのって、幸福そうに思えないじゃないですか。

そこに快楽があるのは否定できませんが、そういうことばかり考えても、一時的に感情は良くても、それは一時的なものでしかない。

怒ることだってそう。一時的でしかない。

それなら、少しでも変える創作性。それについて考えることも大事なんじゃないかなと思います。

嫌なことが起こったら、その解決策が出てくるまで待たなければなりません。

けれど、自分でそれをうみだすことはできるんです。

承認欲求じゃなく、新しく。

僕は創作性こそ、どんな問題も解決してくれるものだと思ってます。

それは優しさであり、助けてくれる。

本当の神様は創作なのではないかとも思います。(人間が神とか言いましたけど、そっちもありそうかも‥と笑)

この世の全ての人が幸福になれる世界を願います。

終わりです!