僕なりの創作で考えたことを書いていこうと思います。
・理想を考える。
僕はこれが重要だと思います。一人一人が理想について考えること。目に見える何かのためではなく、内側の何かに目を向けること。
それもとても重要なことだと思うんです。なので、理想について考えること。それができればより良くなるのではと思います。
よくよく考えてみれば問題って、外側からばっかり来るんですよ。お金の問題、いじめ、差別などなど。
内側からは中々来ない。だからこそ、外側に求めるのではなく、内側に‥。
理想を考えていくうちに、新しいアイディアとかもきっとうまれると思います。
そして、その(理想を考える)ためには何が必要か?
・創作学的な“許し”の考えが必要なのではと思います。
これは自由ということです。制限って、考えてみれば、学問とか世界に沢山あります。それなのに、その心まで制限をって考えてしまったら、制限しかない苦しい世界になってしまうかもしれない。
だからこそ、人間としては、自由や、許しというものもあっていいんじゃないかなと思います。
同じように制限を重視したりする必要はないんですし。
・しかし、そもそも、自由とは何なのでしょうか?
色々考えていいこと、一つ考えを持つこと?
これについて僕は一つ考えを持っています。
それは自由とは全てが同時に存在していること。
つまりは、戦争をすることと、平和であること。その2つが同時に存在していることです。
それは2つの考えが存在し、どちらかを選ばないことにあると思うんです。
それは、選べることに自由はあっても、選ぶところに自由はないということです。
勿論、戦争を完全になくしたいなら、戦争自体が完全に存在しないこととなればできるでしょうが、結局、今のところは厳しいかもしれません。
それなら、どちらも選ばず、何か戦争を忘れられるようなそれらを考えたり、作り出すことが現実的かもしれません。
それから、道徳について。
僕は道徳とは、現実という一つの物語の中で、人間関係をより良くするもの。生きやすくするためのように思います。
学問は人に何かを与えるためにあり、その中に、強制力はきっとないんです。
この通りにしなければならないとかもきっと。
上手く言えませんが、これから、優しい世界になったらいいなと思います。
ここまでで終わりにします。
読んでくれた方ありがとうございました。
追記
戦争をなくすための一つとして、感情の依存的なものをなくすのを考えています。
特に、悪、正義それらって外側に誰かがいないと成り立たないのかな?と思います。
創作の中では、悪、正義は実在しない人物としてあります。
けれど、それを現実に対応させる必要はないのではと思います。
だからこそ、自らの中にどちらも存在するみたいな創作的考えをと。
自分以外には敵は居ない。それが本当にできるのはそういう創作の中なのではと思います。
追記
考えているのは、代替できるものが必要だと思います。
なくすためには、それと似たようなもの。だけど、安全である。みたいな。
怒ったとき、走ったり。(なるべく、自分のペースでできるのが理想。→相手にあわせてるのではストレスは中々解消できないでしょうし。)
一種、スポーツとかがいいんじゃないかなと思ってます。
スポーツは時に怒ったりもありますが、人間関係としては、戦争よりも大分とマシだし、逆に関係を深めるのにとてもいいものなのではと。
ただ、これの問題としては、相手にあわせなければならないところです。つまりは完全なるストレス解消はできない。
だからこそ、スポーツと、創作みたいに完全なる自由と、制限のあるそれを。
勉強も制限がありますが、創作は完全なる自由です。その2つが作り出せる。自分のペースでできるそれと、制限のそれを。2つがあれば理想的なものになるのではないかなと思います。
戦争に代替できるのは、矢張り理不尽さのない限りのスポーツだと思います。(勉強も書きましたが、運動系のほうが強いんで、矢張り、スポーツかなと。人間関係向上にもとてもいいかなと。漫画や、アニメだとライバルという名の〜みたいな。ライバルが親友になるとかも、スポーツ系なら可能性めっちゃあるんで理想的かな‥)