相手の不幸を願うこと

今回はこれについて創作を交えながら語っていこうと思います。

だれだれが居なくなったら〜とか、嫌な人に不幸があったら嬉しいとか。(シャーデンフロイデ言うんですか?)

前に聞いた話の中には、みんなが幸せになれば、相手の不幸を幸せに感じる人も居るから〜なんて話もあります。

だけど、それが本当の喜びかどうかは疑問なところがあります。

僕自身も、不幸を幸せに‥みたいな部分はありますが、けれど、自分のダメさを見たときですよ。

その相手の悪い部分は、確かに自分にとって、幸せになりますが、それはあくまで共感です。

こんなにすごい人でも悪い部分がある。完璧じゃない。冷静になろう。

そういうのって、悪いところを蔑んだり、馬鹿にしたりって話ではない。

不幸を喜ぶ、確かに見え方によっては悪くもあります。

しかし、考え方によっては、良くもなる。

不幸を感じることによって、周りからの支援を受けられたり。不幸を喜ぶは完全には悪いことじゃない。

これは他の見え方をという話ですが、幸せが不幸を喜ぶみたいな話は疑問なところがあります。

というのも、不幸を喜ぶとか、よくある、相手に怒るとか、悪いことに大体として共通することがあるんです。

それは、他者依存。

特に相手がいないと成り立たないんです。殺人とかにも言えることなんですが、相手がいないとそれはできないでしょう。

悪いことに共通して言えるのは他人が居ないと成り立たないことばかりなんです。

特には感情の依存。もちろん、感情の依存にもいいものはあります。

例えば僕が物語で書いてるように、嬉しいことを嬉しいと思える気持ちとか。

感情的な依存の場合は、それに囚われてしまっていることなんです。

不幸を喜ぶ自体も、相手がいないと成り立たない。それはつまりは、不幸を喜べるのは“その相手がいる”おかげだともとれます。

探さなければいけない。

その不幸を。

だけど、それができるものがあります。

それは創作です。人は、皆、僕の考える“創作”というものを重要視することによって、理想のそれになると思っています。

もちろん、それは僕自身も無理ですが、創作はどんなことでも許してくれる。

人が重要視する必要があるのはきっと、この創作です。

全ては同時に存在していい。

完全なる優しさこそ、創作にあると思っています。

そもそもが、人の不幸という点でいえば、物語の中で、嫌な人を沢山成敗したり、不幸を書いて喜べば、現実の人の不幸を待つ必要はなくなります。

つまりは創作はすべてを叶えてくれるとも言えます。人間的関わりによる何かよりも、創作的なところに価値を置く。

そして、その次に現実を大事にできれば‥。

理想の世界となると思っています。

悪人と正義が同時に存在しなくていいんです。

その中で、叶えたことがあるなら、無理に現実で叶える必要はありません。

それはつまり、本当に叶えたい夢というものを真剣に見つめられ、理想とは何かを突き詰めていけることだと思っています。

もちろん、上手くいくかは分かりません。ただ、僕は信じています。創作こそ、人を救うものであると。

ここまでで終わりにします