夢について

夢、叶えなければいけないもののように感じてしまいますが、僕はこう思います。

無理に叶える必要はない。と。

そもそもが“夢”とは、制限されたものでしかありません。

どういうことかと言うと、ほぼ今すぐには叶えられない夢があるんです。

例えば海王星に行ってみたいとか。太陽に行ってみたいとか。

そういうのって不可能でしょう。(宇宙葬とかならわかりませんが‥)

多くの事って、中々叶わない。

何かスポーツをはじめ一日でプロ並み、達人と呼ばれるほどの強さを〜なんてほぼ不可能。ある程度は時間がかかるんです。

一日で学問すべてを制覇するなんて無理でしょうし。

しかし、それはあくまで現実での話です。現実とは、そもそもが制限された世界であり、その中で、ある程度の事なら叶いますが、度を超えるものは中々無理。

けれど、創作の中では、全てが叶います。

つまり、言いたいことは、物語の中ではどんなことでも叶うということ。

それは現実では無理に叶える必要がなく、物語の中に理想を求めるのが理想的なのではと思うんです。

そもそもが夢を持つことはいいことなんですが、思ったより違ったとか、残念に思うこと沢山あるでしょう。

創作で叶えること。

そして、それで満足や、何度もしたい。色々考えたい。そう思えるかどうか。

満足感は大事なことです。物語を書いて満足できるなら、きっと、現実でも満足できるでしょう。

もちろん、物語の中では完全に満足することはできません。けれど、その中で自由に色々考えられたなら、現実でもきっと大丈夫だと思うんです。

現実で叶えることが全てではありません。

夢の中で叶えることも、それは夢を叶えたことになります。

賞賛を浴びたいなら、自分が自分にこういういいところがあるって褒めればいいですし、強くなりたいなら、物語の中でどうか書いてみればいい。

その世界は一種の事実であって、それは現実とは変わりません。

こう言いますが、僕は、夢を叶えることはしてはいけないとか、夢を叶えることは悪いことだと言いたい訳ではありません。

それを叶えるために、取り返しのつかないことをするのは理想的ではないと言いたいんです。

それはつまり、夢だからと言う理由で、自分に無理を強いたり、好きだからとか言って、嫌なことしかしない状態。

自分を責めたり、何故、自分は叶えなければいけないのか。それが分からなくなってしまう。

夢は自分が苦しむまでやるものじゃない。望んでいるなら、進むべきですが、苦しいだけならばそこまでしてやるべきではないと思うんです。

自分の本当の味方であるはずの、自分が敵になることは往々にしてあるんですよ。

もちろん、嫌な部分があったから、すべてをやめる必要はないと思います。

それは気分転換的なことなのかもしれませんが、、

時に離れてみることも大切だと思います。

そして、物語の中で、僕は夢は叶えるものじゃなく、見るもの。みたいなことを書きました。

これは事実だと思います。

現実で、もし、叶ったのならそれは純粋に喜ぶこともいいでしょうし、手に入らないなら無理に求めすぎるのも良くない。

求めてしまうのは仕方ないですが、苦しんでまですることではないと思います。

物語の中では、現実で起こったから、そのありのままを喜ぼうと書きました。

僕自身がよくあるんですが、本当に叶えたかったことのはずなのに、時間が過ぎると、新しい目標とか、新しい欲求に行ってしまう。

ありのままを喜ぶ。叶えても、満足できないことは往々にあるんだから、無理に叶える必要はないんです。

でも、もし、かなったら、純粋にそれを喜びましょう。

僕はそうしたい(願望)

夢は物語に〜と言いましたが、そういう自由な世界で、喜べる人、満足できる人。そんな人こそ、現実でも叶えられる人だと思うんですよ。

とりあえず、この話はここまでにします。

前に夢については書きましたが、今回も同じような内容です。

けど、夢は無理に叶える必要がないと書きました。

だけど、僕は一つ夢があるんです。

それは異性と一緒に毎日暮らせるそれです。  

ハーレムというかもしれませんが、僕は欲を制限するためにもいいと思っています。(過去の経験の悪もあるが。)

僕自身が悩んでる“代替できるもの”それが一つのそれだと思ってます。

けど、人が多いと、息苦しいみたいになってしまうかもしれません。

それについては考えがあります。

これは僕の思想的な話ですが、パノプティコンという、監視システム的な話を昔聞きました。

それはみんなが相手を見張ってるみたいな、あんまりおかしなことができづらくなる。

学校とか、このネットとかもそれに近いものがあるかもしれません。

悪いものに思われるかもしれません。

けど、それは、あくまでその中に含まれる目的によって悪くなったりすると思うんです。

どういうことかと言うと、グループを作るとき、みんなが〜が嫌いとか、批判するみたいな目的みたいなのがあると、自然とその集団は負に偏ってしまうと思うんです。

アビリーンのパラドックスというものもありますし、悪いことの方が真実と捉えられやすい。だからこそ、集団は、目的が偏ると負のそれになりやすいと思うんです。

勉強って楽しいところもあるのに、愚痴ったりとか聞きませんか?

それが一般化されてしまうとグループとして偏りが生じてしまう。

だからこそ、理想的な目標を立てたいと思ってます。

それは創作です。

創作的思想、それを持ってれば、ひとりひとりが意見を持った変わった人間になることができます。

そして、理想のそれを、自分の意志でみんなが目指すことができる。

更には自由。それを考えること。

2つの矛盾したそれを受け入れること。

優しいと言われた。だけど、自分は優しくないのに‥とか、相手に勘違いさせてしまってるとか罪悪感に似た感情もわいて来ると思います。

悪いことは考えてもいい。だけど、とらわれないことが重要なんです。それは全てを同時に肯定できるという、創作的思想こそ大事だと思うんですよ。

優しい自分と、優しくない自分が同時に存在する。片方であり続けないといけないことはない。どちらも同時に(あくまで同時に)存在していい。

その思想が大事だと思うんです。これが共通認識としてあればきっと偏らないグループになる。

もちろん、悲しいことがあれば、支えあえたらいいなとは思います。

そして、パノプティコン的に、その集団で、悪いことばかり話すのは良くないかな‥みたいになること?そして、悪いものに囚われない、中立的な集団。それを想像してます。

もちろん、あり方だけで、他のことは一切考えてないし、更には僕の妄想の域を出てないんでそうなるとは限りません。

けど、夢としてはあります。

すぐには無理でしょうけど。

これは少子化を解決したいとかはなく、精神世界(創作や、物語)での繋がりをして楽しく暮らしたい。

少子化については、僕自身は協力するつもりがないので、うみたいひとが‥って感じに思ってます。(精神的つながりはしたいが‥。)

そして、女性の方があんまり給料を〜と聞いたこともあるので、なるべくは集まっていた方が節約できることもあると思うので理想的かなと思ってます。

足りないものも補うことができればそれは理想的な集団だと思いますし。

ただの理想論&僕の夢ですが‥。

まぁ、今のところ、持ってるだけです。

ここまでで終わりにします。