有名人について

有名人のこと、どう思いますか?

多くの人から見られ、人気のあるもの。

そう見えるでしょう。好きになるのは自由です。しかし、“絶対的なもの”となるのは違うような気がします。

よく考えていることなんですが、悪いところを見たり、そのことについて話す人はそれに問題はあると思いますが、逆に悪いところが全くないと思うのもそれはそれで問題です。

僕はここで、創作的考えとして、友人になるという考えを、提唱したいと思います。

友人になるとはどういうことなのか?

相手の悪いところ、いいところを認識すること。僕はそれが、友人になる一つの方法だと考えています。

悪いところばかり見えてるときは、いいところを認識すること。いいところが見えてるときは悪いところを認識すること。それは口に出す必要はなく、どちらもちゃんと認識することが重要です。

見つからないときは、悪いところを見つけ、この場面だったら活躍できそうと肯定したり、逆にいいところをこういう場面ではよくなさそうなど考え方によって色々な見方ができます。

 

少し戻ります。依存関係とは、相手がいないと生きていけないようなものです。それはあまりよくない。

アニメや、漫画でもありますが、大量に投資しても相手は自分の希望にそったことは中々してくれません。もちろん、自分が、価値を持たせれば全ては価値のあるものになりますが、基本的に自分の求めてるものと全く同じにはなりません。

当たり前ですが、相手と自分は違う人間だからです。

長くいれば悪いところも見えてきます。それを見ずに、相手を盲信すること。それは望ましくない。

満足は一回で終わるが、依存はずっと繰り返さないといけません。

僕の例だと、レートに依存しています。次のランクまでと頑張って、同じところをグルグルと行ったりきたりする。ストレスと、嬉しさがあってその繰り返しを何度も何度もしてきた。皮肉なことに、嬉しさとストレスが適度にあるからか、繰り返しやすくなってる。

しかも、人との対戦ですから、コンピュータとやるより楽しい。

依存とはそのものがないといけない関係性であり、その人を夢中にさせるもの。

良い点は沢山ありますが、結局、外部に求めてることでしかない。外部に求めている以上、喜びはずっとは続かない。

相手の気分次第で、その人の今の気分が決まってしまうもどかしさを秘めたもの。

だからこそ、この考えが必要だと思っています。

創作という考え。

これは、多くを、自分の自由に決めることができ、人に見せることが無ければ、現実に居る人だってなんだって登場されることができる。完全に自由な世界。

本当に重要なのは、外側に、自分の好きなものを全て持っているような何かを探すことでなく、自分にたずねること。

つまり、自分が何を好きなのか?どんな部分がいいと思ったのか?どんなことをしたいか?など本当に理想を求められる世界であります。

自分のことを本当にわかるのは自分しかいません。

どれだけ人のことを知り尽くした人でも、考えてることまでは分かりません。

だからこそ、創作は優しさを持ったものです。全てを許し、その人の考え方に自由を与えてくれる。

本当に自分の喜びを分かるのは、外側の何かではなく、自分自身です。

そして、それは、絶対的なものでもありません。

ただ、人は、おもちゃ遊びを、大体子供の頃に辞めてしまいます。

この理由として、本当に自分の意志で決められる自由なものは、人は求めていないと思うんです。

だからこそ、創作を重要視しながら、外側の世界の喜びにも目を向けられる。もちろん、大きな面として、創作があるのは変わらずで、その次に、人との関わり合いなどを置くこと。

もし、それができれば、有名人や、何かその他のものを絶対的なものとすることなく、健全な関わり合いができるのではと思います。