今回はこれについて話そうと思います。人間社会に於いて、とても避けられないもの。そして、関わらなくなっても関わらないといけなくなるもの。
それは人だと思います。全く関わらないと逆に関わりたくなってしまう。
とてもバランスのいるもののように思います。
僕が考える創作学では、矢張り、これについてどう関わるかが重要になってくると思います。
それは物語や、精神世界など、自分がすべてがどうにかなるものを喜んで次に現実のもの、ことを大事にするということです。
夢って中々叶わないし、人間関係も期待しすぎると、後々、苦しくなったり‥。
もちろん、大事にするのはいいことですし、僕の考えの中では、創作をもっとも大事にしながら、次に人を大事にするみたいなことですから、大事にすることは前提です。
けれども、依存しすぎてしまったりは望ましくない結果にもなるかもしれないので、避けなくては。
現実の問題自体も、多くは人間関係だったり、身体とか、精神とはまた違ったものから発せられるそれによって、その問題となるでしょう。
人間関係も大事ですが、矢張り、それによって考えることがだめになっては理想的ではありません。
だからこそ、人間関係を大事にするためには、自分の時間をとり、考えることも重要。
毎回、それが取れれば、僕は、多分、理想的な人間関係が作れると思うんです。
他のところで言った、感情的依存をしないこと。
それも相手がこうだとか、悪口言ったとか、なるべくはとらわれないことが理想的で、そういう世界をなるべく避けることがいいんじゃないかなと思います。
怒るのも、方向性によって、より良い関係性にできる可能性もありますし。
例えば他のところで言った、怒りがわいてきたら走るとか。
おかしいと思われるかもしれませんが、結局は、相手が嫌な気持ちになって自分が〜というのは避けられるかもしれない。
そういうのってのは理想的なんじゃないかなと。
そもそもがおかしいだけで、おかしいとか負の感情がわいてくるのもおかしな話だと思います。
例えば、悪口とかも。
おかしな顔をしてるとか、それを言ってる本人はどうなのだろうか?と思います。
迷惑をかけたから相手に仕返しを、そんなに迷惑をかけた相手のために頑張る必要はないと思うんですよ。
それよりも、自分を見つめること。
何故か、自分で褒めることは悪いことで、相手から褒められることのほうがいいこと。のように思われますが、自分で褒めてもいい。
改善したい点はどうしたらいいか考えればいいし。
苦しいとき程、自分は大事にした方がいいんです。それは相手が迷惑かけるなとかではなく、自分だけに向いて、相手は介入しないことが大事に思います。
何かの道で優れてる人は謙虚だったり、自分の悪いところを見たり〜とかそういう考えもあるでしょうが、その人は“勝ててる”という事実があるんです。
そんな人が勝つことばかり考えてたら強くなれないでしょうし、謙虚さだったり、時には負けたことも必要になるでしょう。
何もない人ほど、ポジティブであった方がいい。それは大事なことのように思います。
2つのこと、それを同時に認められたら、人はどれだけでも進んでいけると思うんです。
だからこそ、精神世界を大事にし、外側の世界を次に大事にする。
人間関係多くても、それができたら、きっとより良い世界になるし、問題は少なくなるように思うんです。
もちろん、僕の勝手な妄想にすぎませんが。
そして、人との関わり。
これについては、肉体的な接触もあるでしょう。
例えば挨拶をするとか。手を繋いだりとか。
もちろん、走ることとかも人の関わりではないでしょうが、バイアスとして、散歩より走るのほうがいいとかあるでしょう。
だから、あえて、これについて語ろうと思います。
率直に言ってしまえば、走るより、歩くの方が理想的だと思います。
それはつまり、走るってつかれるし、考えるのに向いてないような気がするからです。
もちろん、運動になるし、理想的ではありますが、それによって問題が出てきたりだと望ましくないでしょうし。
少ないようですが、ちらほらはいるみたいです。持久走とか嫌だったな‥みたいな言ってる記憶あります‥。
散歩でも結構運動になると思うんですよね。
もちろん、やりたい人は走るのがいいですが、走ったほうがみたいに強制観念的なものがある人は歩くべきだと思います。
全ては同時に肯定できる。なので、歩くのも、走るのもいい。その価値観は大事ですから。
そして、これについて言えることなんですけど、人間は全く動かないなんて不可能です。
食べないことも厳しいですし、外側の世界と内側の世界で成り立ってるのは事実でしょう。
ただ、大事にした方が理想的なのは、外側に求めすぎないということです。
運動で言えば、走るよりかは歩くとか。
戦争自体も、もっと、範囲が狭くて、違う面で争ってたらある意味戦争とはまた別のものになりますし、平和と近付くでしょう。
つまりは、もっと安心で、それがないとダメとか、愚痴ったりとかないような、より良いものに代替していくのが理想的なのかなと思います。
快楽はその人を本当に満たしてはくれないでしょう。
悪口だってそう。快楽ですが、その人は中々みたされない‥。
怒りだって。
それよりかは、自分の心の中で、自分の喜ぶことを自分で与えてあげる。
それは上で言ったような、自分で褒めてあげる、自分で悪くて直したいところをみてあげる。
他人に言われたからここがいいところなんだって無理に思わなくていいんです。あくまで、確かにその通りだと思ったなら、それもいいと思いますが、自分のことは、矢張り、自分が一番よくわかってると思うんです。
創作的あり方、それこそが理想の世界を作るものだと信じています‥。
そして、最後に。
人間関係で、少し目にしたんですが、仕事を増やすということ。
それについて語ろうと思います。
そういう人は、矢張り、上で書いたように、自分を大事にできていないんじゃないかなと思います。
僕自身もそうなんですけど、一人の時間をとろう思っても、悪いことが頭に浮かんだりでできなかったり、何かに依存したり、やらなければと囚われたり。
そういうことが多くて、時には、他人や、何かに依存してしまうことが多いんです。
もちろん、気付いたときはなるべく離れたりどうしたらいいかとか考えたりしてますが。
あくまで、絶対的に直そうとはせず、考えとして創作は必要だと思うんです。
絶対的な優しさがそこにある。
僕はそう思います。終わりです!