依存について

今回はこれについて語ろうと思います。

依存、これについて嫌なイメージが多くないですか?

もちろん、悪いところは多いんですが、いい部分も結構あります。

前に聞いたことでは、食べ物自体も、店がやってるからこそ買えて食べられるし、知らず知らずのうちに依存してることってのは多いんです。

僕が他のところで何度も言った感情的依存について語ろうと思います。

感情的依存とは精神世界や、求めすぎてしまったりで理想的な関係性を築けないことを指しました。

そして、悪いものとしてあげられること。

ギャンブル依存症、ゲーム依存症、薬物依存症。

こういったものに共通して言えるのは、外部のそのものが存在していなければ喜びを得られないというところにあると思うんです。

外側に依存してしまっている。

依存っていうのはやっぱり、やりたいからやるではなく、精神世界が、その外部のものによって支配されてしまっている状態を指すんじゃないかなと思います。

自分自身で喜びを作り出すことが出来ず、外側の何かによって、喜びを作り出すことを強制されてしまってる。

本当であれば、自分の喜びは、自分自身でしか分からないのに、外側の意味わからない人やあったこともない人が侵害し、勝手に好きと思わされてしまってる。

そういうのって理想的ではないでしょう。

だからこそ、僕が考えてるのは内面的依存です。

依存する方向は外側ではなく、内側。

迷惑自体も、内側に依存するのであればかけることは少ないでしょう。

そして、内側だと逆に依存しづらい。だからこそ、この内側の依存はとてもいいんです。

持ってる知識から新しい何かを考えたり、自分の好きなものについてさらに深めて行ったり。

そういうことでも喜びは湧いてきます。

もちろん、とらわれないことが重要ですが。(こう考え続けなければいけないとか)

いつでもできるって言うことが重要です。中々、いつでもできるものは価値の低いものに思われてしまいますが、理不尽で、いつでもできないものなんてものと比べたら絶対的に喜びが多い方のがいいですし。

もちろん、内側の依存といっても、外側を全部依存しないようにとかは無理です。だからこそ、内側を一番に大切にし、2番目に外側をおく。

面白いゲームがなければいけない、つまらないゲームや、だめなところには苦情を言う。そういうの続けても、その人は幸福とは言えないでしょうし。

だからこそ、相手のいい部分を取り入れ、自分の理想の世界というものを探求していく。

本当の理想の世界って、いつでも叶うんですよ。だけど、価値がないって思ってしまう。

だからこそ、一人一人が向き合う必要があると思うんです。

僕はレートにハマっています。正直、なんでこんなにやってんの?思うこと沢山あります。

名言にはこんなものがありました。

利己的な人は自分を愛せないから利己的であると。

思えばレートを頑張ってたのも、今の自分は弱いとか、強くなる(現在はだめ)と否定し、今の自分を愛せてなかったからこそ上を目指していた。

そうとも言えるのかもしれません。

自分の敵は自分。いい言葉だな‥と。

繰り返してしまうかもしれませんが、僕は矢張り、内面的依存が重要なのではないかな‥と思います。

とりあえずここまでで終わりにします!