創作学についての説明④

長くなってきましたが、創作学とは永遠に内容がつきない学問でもあります!

これからも話が続くまで紹介して行こうと思います。

この学問というのは、こころの中への許し。を重要視したものであり、沢山のアイディアを集めるものでもあります。

たとえば用語とか、ふと浮かんだどうでもいいこととか。

ただ、現実に全てを持ち込むのは良くない。だからこそ、その中でもどうでもいいけど面白い情報だったり、仮説の段階で実験はしてないもの、実験はしたけど間違ってたことなど。

そういった幅広い自由を心に許すこと。現実でも多少なりとも許すこと。

ただ、こう言っても、厳しさは必要と思うかもしれません。しかし、それはこれからもあり続けていいと思います。

それは、【学問】という世界のルールであり、【創作】の中のルールではありません。

創作は学問という世界があるのを許し、間違いも同時に許してくれる。

そんな場所です。

人と関わる中で、ときに、厳しさが必要になるかもしれません。周りに悪く思われないよう、自分を正そうとします。

それはそれでいいんですが、心の自由だけは許すこと。それはとても大事です。

優しさを与えられるのって、心のなかで自分に優しくできる人だけでしょうし。もちろん、これも創作の話ですが。

ただ、こう言っても、これは人に押し付けるようなものではありません。押し付けてしまえば、その自由というものも嘘になってしまいますから。

そして、創作の凄さとは何か?について語ろうと思います。

無限に遊べるということです。好きな時間に好きなだけできて、もし、これが永遠にできるなら、暇な時間は存在しない。

もちろん、自分で考えなければいけないというところがありますが、それは他人にどうこう言われない。そして、自分の本当に好きなことに向き合えるという点があります。

自分が好きなもの、それって言うのは、やっぱり、自分じゃないと分からないだろうし、流行ってるからという理由で、自分に嘘をついてしまう人もいると思うんです。

でも、もっと自由に、自分が楽しいと思うことに向き合える。

誰にも見せないのであれば、人目を気にする必要はありません。自分で無理に否定しなくても大丈夫。

恥ずかしさはありますが、それは否定があるからこそ、嫌になってしまうのだと思います。もっと自分に正直に、間違いなんてないのだから(創作学的考え方)自由に書くのがいいですよ。

ところで、これを書いてる僕はちゃんとできてるのかという話もあるかもしれません。今までの文章見てもらえばわかりますが(これ含め)偏ったことしか言ってません。それはある種、創作学の自由と反するものです。話してる本人が、一部しか、更には偏ったことしか言わない。

自分の中にある間違いというものを肯定できず、繰り返してしまってる。

悪いところは沢山あるんですが、仕方ないところもあると少し思ってます。ただ、僕のアイディアで、何か人が楽になれたり、悲しむ人がいるのだとしたら、言わないといけない。

ちょっと答えが一つしかない思考ですが、僕はそう思うんです。

このブログを読んでくださった方、それ以外のこの地球上にいるみんなが許し合い、幸せな毎日を過ごせることをのぞみます。 

おわりです。