創作学についてなど色々書きましたが、まだ書きたいことは結構あるので、ここで話していこうと思います。
創作学は何をするのか?
例えば与えられた問題や、ものに対して、複数の見方をすること。そして、それを許容する。
それがたとえ、大きくはずれてたとしても、考え方として中立的だったり、押し付けない範囲での優しさならOKしよう。って言うのが考えです。
それは共通認識として、優しいとか許すとかそういう考え方とかを養う場であって、今まであった楽をする考えって言うのを緩和させるのがこの学問のあり方だと思ってます。
この話で、僕は【楽をする】と言いました。このことについて話したいと思います。
多くの人は楽をしてます。それはどんなことについても。労働においてはわかりやすいですが、働く時間を減らしたり、ものをつくることで楽に、楽にと考えて来たのだと思います。
それは無理をしてとかの話ではきっとありません。行動の楽はあります。
しかし、忙しさを求めてしまうのも同時にあってしまうのですが‥。
この原因となってること。それは一人一人が思考の楽に陥っているからだと思います。
僕自身も陥ることが多かったのですが、たとえば、【楽をするな】という言葉。それは言った本人が楽をしてないから人に言えるのでしょうか?
僕はこう考えてます。
行動のは楽をしていないかもしれないが、思考の楽はしている。というのが本当のところだと思います。
人に優しくすること、そして、人に厳しくすること。どちらの方が大変でしょう?
これは前者です。この世界には、厳しくする人が一定数居て、何故かそれを許容する人も結構居てしまう。仕方ないとは思いますが、優しさはとても大事です。
厳しさは確かに必要かもしれませんが、それは肯定感のある人で、それが低い人にはただ足を引っ張る。
思考の楽をするより、相手を見極めたり、もっとどうしたらいいかと考えをまわしていくことの方がとても必要だと僕は思うんです。
悪口や、わざと不快なことを言うのは簡単です。しかし、逆に優しくしようって思って、相手に本当の意味で優しくすることって難しい。いつも意識して、どうしたらいいかって考えないといけない。
ただ、こう言っても、思考の楽を人はしてるため、思考の転換は難しいです。
だからこそ、創作学というものを僕は作りたい。
休むときは休む、仕事したいときは仕事をする。これができないのって、答えが一つしかないと共通認識としてあるからじゃないですか?
僕は無理をしよう、無理をしようと意識としてあって、いつも苦しくなってストレスをためてしまいます。
この答えは一つしかありえないという考えは、人の内部に根をはって、変えようにも変えられない状況になってしまってる。
だからこそ、本当の意味で、複数の考え方というものを許容してくれる、創作学という存在が必要なんです。
自分の悪いところがあっても、それを心のなかでは否定しなくていい。そして、それをみんなの前で言わなくていい。
自分は自分のことをただ、肯定してあげる。苦しいことがあったのなら、複数答えがあるんだってゆっくり考えて、頭かたくしない。
2極端で考えず、答えは複数あるんだって‥そう思えたら気が楽になりませんか?
今、人に求められてるのは、きっとこのような自分のことを許してくれる何かだと思います。
少し前にあったマスクのこと、芸能人中傷、炎上、陰謀論。これらは、思考の楽が原因だと思ってます。
もっと自由に考えて、一つしか正解がないという考えに陥らないこと。
そのためには、自分の見え方、人の見え方とかを本当の意味で、共有できる場所を作ることが大事だと思います。
それが一つ、創作学というものだったということです。他にも対策はあると思います。
色々自由に考えて、心が楽な世界‥。そうなれたら本当の意味で幸せな世界が来ると思ってます。
終わりです!(まだ続きますが→創作は無限の知といった通り、半永久的に話し続けられるものなのです!笑 全てが学び!)