創作学について

一つ例えるとするならば、創作学とは、許しの学問です。

一つの文章、一つの学問において、複数の見方が存在していい。

そして、自分の人生に価値があると思えるような。そんなものです。

これについて話すならば、道端にある【石】の話がいいかもしれません。

石が落ちてる。ただ、転がっていく、生き物がそれで遊ぶ。それにつまづいて転ぶ。

ただの石であっても、創作的には色々な物語が作れます。その物語の中では、ただの【石】という存在が、とても必要なものに変わるんです。つまり、創作に於いては、この世に無駄なものなど一つも存在しないと言えるということ。

一人一人が、自分は無駄な人間でなく、必要な一人なんだ。そう思える世界、それこそが創作だと思うんです。

創作について、物語を作ること。それは重要ではありませんが、作ることでのメリットはあります。

それは

まず、自分をかえりみれること。

物語を作ることによって、自分がどんな人生をおくってきたか、どんな瞬間に楽しいと思えたか。それが分かるんです。文章につくっておくと、思考の自由が与えられるのでオススメしたい。(勿論、人に見せると否定される可能性はありますが、自分内であるならば自由。)

次に、自分の本当にしたいことが分かる。

例えばこういう職業につきたいなと思ったら、物語作る。もし、それで全然続かないようなら、それは本当にしたかったことではないとわかります。どれだけやっても飽きないし、それでもまだやりたいと思えてることってのは、現実でも大体続けられると思ってます。それほど、楽しいと思えてるってことですから。これは欲に関しても同じで、〜これがしたいみたいに思っても、創作を作れば本当にこれがしたかったのか‥?って考えるきかいにもなる。お金が沢山あったら‥どうしたいか?みたいな、それ以上思いつかないのなら、それはお金があっても同じだと思います。自分と向き合えるのが物語と向き合う行為になる。僕はそう思ってます。

他にも複数ありますが、最後にします。

これが特に重要です。一人一人が異なった意見を持ちやすいということ。ダイバーシティというのでしょうか。例えばかっこいいもの、可愛いもの。一人一人違うもので、人がいいと思ってるものとは違うものです。それに正直になり、自分というものを理解すること。それができれば、一人一人が異なった考えを持ち、そこから、他の問題だったり、色々なことにその価値観で、僕はどう思うみたいに、意見ができる。

物語を作ること、創作に関して、それは重要そうに見えますが、価値観自体は、物語と直接関係ないので、無理に作る必要はありません。

自由さが重要になるからこそです。

許しとは何か?について戻りますが、相手の考え方、価値観を否定しない新しい道、それを与えてくれる。それが、創作学の存在意味だと僕は思ってます。

例えば、すぐ泣いてしまう人が居て、泣くやつは弱いやつだという人がいたとします。

でも、なく人が強いという事実があってもいい。そう思えたら安心しませんか?

僕はよくあるのですが、自分と違う意見を持ってる人。それを見たら悲しくなったり、ときには否定したくなってしまう。

だけど、その意見の反対も存在していいんです。無理に相手を否定したり、悲しい気持ちになったりしなくていいんですよ。

思考の自由が与えられる。

それは肯定派、否定派があったとしても、どちらも肯定するという選択肢も与えられる。

これによって、八方美人みたいに言われるかもしれません。でも、本当の意味ではそうではないと思います。相手のいいところを矛盾のない限りでお互いに肯定する。

そうすることによって、どうしたらお互いにとってより良いかが考えられるってことになるわけですから。

創作学についての許し、言い換えれば自由という考え‥共通認識になれば、理想の未来が待ってる。僕はそう思ってます。

多くの人が悲しまない世界、それは‥創作の中にあるのかもしれませんよ。

終わりです!