創作学についての説明⑦

生きる意味、僕の創作学への見方として、それはきっと人それぞれが無駄なことをすることだと思います。

ただ、無駄なことをするのでなく、自分にあった無駄なことをすることです。

方向を変えれば、自分の大切なものを求めていくこと。外側にある欲でなく、内部にある欲を求めることです。

僕で言えば、それは、創作でしょう。物語を考えてる瞬間、そして、思いついたときとても幸せな気持ちになります。

もちろん、そればかりではなく、ときには、苦手なところだから、はやく終わらせたいという気持ちにもなります。

しかし、楽しい瞬間は変わらずあった。無理に苦手なところを終わらせるのでなく、矢張り、自分の気持ちにあった方向性でそのことと向き合うこと‥それが大事なんじゃないかなと。

楽しい瞬間がない創作は作ってる意味がない。僕はそう思っていました。

しかし、それってどんなことに於いてもいえるのではないかと。

仕事だって、楽しい瞬間がないと、毎日がつまらなくなってしまうでしょうし。

何かを頑張ろうと言うとき、どれだけ、自分のしたい立場に近付けていくか。

それって全てに共通することはなく、創作のようにそれぞれ色々な正解があっていいと思うのです。

自分の気持ちに正直になること。他のところで言いましたが、人間は思考的楽に陥りやすい。と。

たとえば楽をするな。と言ったり、我慢しろという人自体が思考的楽に陥ってると。勿論、それは、嫉妬などもそうでしょう。

そのものへの見方はその一通りじゃないし、無理にポジティブに捉える必要はないが、もっと色々な考えを持ってもいいんじゃないか?と思うわけです。

この考えをあわせて、自分の本当に好きなことを、思考的楽に陥らず、発見していくこと。

人生はとても長い。あと少しと思っても、案外長く生きてることだってある。

すぐに決断を出す必要はなく、のんびりと、自分の好きなことを発見していくこと。そうしたら、何か見えてくるかもしれません。

人が無駄に見えることだって、その人にとってはとても価値があること。それは、利益にならなくたっていいんです。逆にそれによって、利益を求めれば不利益も出てくるでしょうし‥。

なので、もっと創作的に、色々な考えを許容し、今あるだけが考え方ではないと、新しい考えを思いついていく。

それが具体ではなく、抽象的に生きる人間のあるべき姿だと思います。

無駄なことはしないでは、みんな限られた行動しかできなくなり、本当の意味での幸せはきっとおとずれない。

もちろん、無駄なことはしないという人が居てもいいし、その考えはあってもいいと思います。

しかし、すべての人間がそうである必要はないのです。

それぞれが自由な考えを持ち、一方向に偏らない‥そんな世界になったらなと‥

僕は思います。今日はここまでで終わりです。見てくださった方、ありがとうございました。