創作学についての説明⑩

今回で一端、説明は終わりにしておきます。

ずっとほぼ同じことを言ってるんですが、創作学はゆるしの学問。

それは人のあり方として、曖昧とか、抽象的であることの大事さ。

もちろん、ここでどれだけ表現しようとも、それは偏ったそれになってしまい、僕自身が創作学的人間ではないこと。それがとても致命的なことです。

創作学とは、さっきいったように、ゆるしであり、一つの固定した何かではないのです。

自由想像。それこそが創作学の考え方です。

デマ、間違いでさえも受け入れる。しかし、それは、共通認識として嘘の世界であるとなってないといけません。

これは当然ですが、創作を見るとき、この世界は本当だと見るでしょうか?

大体は嘘の世界、存在しないものだと意識的に分かってることでしょう。

勿論、今生きてる世界が嘘で、創作の世界が本当、どちらも嘘、本当の考えもあるから、この答えが正しいとは限りません。

しかし、その一方行から見れば、大体は嘘の世界となるでしょう。

創作学とはゆるし、つまり、この世界があってもいい、自分の世界があっていいようにと、ある種、お互いの創作を許すようなこと。勿論、現実の中では、制限がかかります。

しかし、本当の自由とは、一人一人の心の中にあるんです。色々考えようと、こんなこと考えるなと干渉されるでしょうか?

それが身体に影響を及ぼすなら、ある程度は分かるかもしれません。しかし、何を考えてるかまでは口にしなければ絶対に分からない。

夢は必ず叶う。僕はそう確信しています。それは夢の中で。

創作の中でなら、何もかも全てが叶う。見えてないだけで、叶わない夢なんて、創作の中に存在しない。

もし、叶えられないものがあるとするなら、それはこの世に完全に存在しないものでしょう。

最早、それに関しては、叶えたいと思うことすらできないので、全ては叶うと断言してもいい。

現実で無理に夢を叶える必要なんてない。自分さえあれば、どんな夢でも叶えられる。

自由想像とは、一人一人が自分の考え、他人の考え全てを許し、色々な考えをする。

これは自由想像の一つでしかありませんが、とても重要なことです。

しかし、自由に想像を許してしまえば‥とマイナスなことを考える人もいるかもしれない。

でも、本当の自由というのは、これはいけない、これはやってもいいとか一つだけを認め、一方を認めないものではないです。

創作的に生きるということ。

つまり、すべてを同時に存在していいと認めることにある。それは心の中にあり、たとえば相手に悪い感情がわいたとしても、いいところがあってもいいとか、なるべくとらわれないように。

複数の考えを認めることにある。僕自身、これはできてない事ですが、意識するだけでも、結構気楽になると思います。

自分を許し、相手を許す。それが本当にできるのはどちらか片方に(たとえば好き派、嫌い派→これはお互いを差別しあってる前提)偏ったりしない、創作的価値観が心にあることが大事だとおもうんです。

あるところで、決まった正解、決まった間違いでなく決まってない正解、間違いをおかすことを言いました。

それはもっと自由な想像を、自分に許してもいいのではないかと僕は思うんです。この世界に間違いも、正解もない。

それは創作においての真理であり、人間的あり方にも重要な要素だと思います。

勿論、ルールは必要ですが、目標としてはるーるがなくてもそのルールが破られないことであり、囚われることではありません。

色々な考え方を許すこと‥。やっぱり、それは大事なことだと思います。

一人一人が大事な存在で、生きてきたそれらは誰かが変えることや、見ることのできない特別なものです。

どんな人生であれ、それはきっと変わらない。

創作的に、みんなが心の中で許し、本当の自由というものを考えていけること。

幸せとは、その自由の中に、きっとある。

僕はそう思います。終わりです。