承認欲求、薬物、ギャンブル依存症などなどで共通していえること

たまにこういうこと見かけるんで、今回も自分の創作をまじえて話していこうと思います。

承認欲求とは、他者に何か技を披露して、認めてもらったり、褒めてもらったり。外側の何かがないとそれは良くないみたいな話だと思います。

そして、薬物。それも外側の何かがないと駄目。他の何かから自分の気分を変えてもらおうとしてる。

ギャンブル依存症も同じように、外側の何かがとても必要です。その対象がなければハマれないし。

それは有名人についても、怒ったり、dvや、ハラスメント、多くのものに共通することです。

僕は外側の何かに依存していると言いました。けれども、他にも依存してるところがあるんじゃないかなと思います。

これがとても重要なことです。

それは感情的依存。

目に見えるものでの依存は時に仕方ないことがあります。人間は助け合って生きているのだから、当たり前です。

更には前に聞いた話だと、世界の恵みによって生きてるとか。確かにそれがないと生きられないので納得なところがあります。

しかし、僕が感情的依存と呼んでいるもの。

それは必ず他人がいないと満たされないか?と言われると、疑問です。

上に話したもので順々に書いていきましょう。

承認欲求。

何か自分の能力を使った凄いプレイとか、音楽とかでも、人前で演奏したり歌ったり。

それらって承認欲求に見えるでしょう。けれど、必ず、承認欲求としてやる必要はないんです。

例として、目的を緊張感を与えて、メンタルを鍛えるとか。更に実力をあげるため上手くするためとか。

凄い人って言うのは、どんな場面でも、能力を発揮できるそうです。

なので、そこには感情的依存よりも、自分に向かっていると言えるんじゃないでしょうか?

そして、薬物。したことはないんですが、気分をよくするみたいなことは聞きました。

暗い気持ちの時に、気分をよくって言うのは感情が変わってるんで、外側に感情依存があるでしょう。

ギャンブル依存症、これも、外側に依存し、更にはそれが上手く行ってたら気分よくなり、悪かったら気分悪くなる。

感情を外側にゆだねてしまってる。

もちろん、何も感じなかったらいいという話になってますが‥。

 

しかし、これらの感情的依存は必要ないと思います。

自らに作り出すことができる。それができれば、人は必要なくなる。犯罪自体も減ると思います。

ネット上には悪口があふれかえってる。それすらも、減っていくのではと思います。

しかし、どうすればいいのか?

僕は一つの解として、創作を考えています。

特に、創作は自由であり、自分の好きなものについて存分に考えられるのはこれしかないと思ってます。

更には、自分を登場させることもいいんで、自分の力で承認欲求を満たすことができる。

外側に求める必要なく、得られることができるんですよ。

とても強い武器。それが創作というものだと思ってます。

ただ、完全にはできてないし、良くはなりそうって感じなだけなので、今は更により良くなるためにはどうすれば‥みたいなことを考えてます。

物語(創作)を考えることの欠点として、自分の力でじゃないとなので、恥ずかしいとかもあります。囚われることもあるかもしれません。

けれど、絶対的自由空間である創作では、どんなことでも許されます。

例えばバカと言われたとしても、それがいいなら逆に自分が頭が良くてもいいじゃないかとか。どちらも許される。

僕は創作こそ、世界平和を作るために必要なことなのではと思っています。

終わりです