昔は食べるものがなかったり、世の理不尽さを言ったり犯罪というのは分かりやすかったのでは?と思います。
最近はどうでしょうか?
僕はどちらかというと、感情的な依存とか、精神世界すらも依存があるように思います。
絶対に必要ないことでも、必要であるようにしている。
つまりは創作性の欠如こそ、現代の問題なのではないかと思います。
それはつまり、仕事や、勉強自体が、人間の感情や、その人が考えてることを必須としないように思うんです。
それは物語の世界でも同じです。誰か知らない、興味もない人達のことを考えてたり、おかしくならないように気をつけたりと、そういうことについていつの間にか考えるようになってたんです。
明らかにおかしくなってたら良くないよな‥思うのは当然ですが、それに囚われてしまえばいいものは書きづらくなる。
人は創作性をほとんどなくしてしまったのではと思います。
犯罪自体、感情がまじってたり、歴史すらも、感情が入ってたり(国民とか?)、精神疾患すらも感情とかそういう内側の何かなんです。
そもそも、正しい、正しくないとか、人間にとって本当に必要なことなんでしょうか?
現代に於いての問題は、殆どが感情に関する問題のように感じます。
これが嫌だとか、押し付けたりとか、こういうふうにしたら良くなるだとか。
悪口だって、誹謗中傷だって、ネットとかティーザー広告とか?も殆どが感情とか精神世界が関係してるんですよ。
そして、ゲームや、漫画、アニメとか娯楽ですらも、自由ではなく、限られた世界。
多くは感情とか精神世界が関係してるんです。しかも、それらは、他人によって支配されなければいけないみたいな。
漫画ですらも、勉強的価値観を持ち込んだら、完全に自由ではないし、芸術とか小説とかもそう。制限された世界なんです。
そこには感情とか、自分の思いってのは入りづらいし、創作性に制限をかけてるようなものが沢山ある。
特に、勉強ができない人とかもそうでしょう。昔からずっとこれは間違いだ間違いだ言われてけば、間違いを犯す人間なんだ思い込んで、結局、悪いことに走ってしまったら良くない訳でしょう。
何故か、昔、悪いことはカッコイイとか、不良はカッコイイみたいな価値観があったようですが、他の価値観もあるはずなのに、それっておかしくないか?って思うんです。
そもそもが感情とか精神世界が、現代の問題になっているように思います。
人は嘘の自由により、自分は自由であると錯覚している。
そのように思います。
選択することに自由があるんだとしたら、悪いことするのも自由だになっちゃうじゃないですか。
けれど、それは自由のように思えない。
とらわれることも自由なのか言われたらそれも違う気がする。
だからこそ、全てが同時に存在し得る創作的考えを。
都合のいい考えとかありますけど、そういうのって、人が入ってくる場合じゃないですか?
例えば、〜した?と聞かれて嘘をつくとか。人が介入する場合はたしかに都合のいい考えっていうのは良くないと分かります。
けれど、一人だけ。自分一人しかいない世界で、都合のいい意見はいけないって言うのは明らかにおかしいんじゃないかなって思います。
だからこそ、創作学。
都合のいい世界を突き詰めていける。創作学を!
ゲーム、アニメ、外側にある全ては創作性を許してくれません。自分の感情なんていれては殆どいけない。決まったようにしなければならない。
自分の都合のいいものってのは、外側には中々ないんです。だからこそ、創作性。
今の時代には自分で都合のいい世界を歩んでいける創作性。
それこそが僕には一番大事なことと思います。
幸福な未来。創作により、それが来ることを願います。
ここまでで終わりにしますね。