今日は絶対的なものについて語ろうと思います!
こんなタイトルですが、絶対的なものってなんなんでしょう?
僕は、全てに於いて正しいとされる考えのことなのではないかと思います。
何があるでしょうか?
浮かばないですが、結局、絶対的なものってありそうでないと思うんですよ。
もちろん、ちらほらありますが、それらが本当に真理なのか?と言われたら分からなくなってくる。
だからこそ、僕はこの考えを言います。
絶対的な真理がないのなら、全てが真理であってもいい。
ふざけた考えですが、これは優しさのように思います。
人を見てこれは間違ってる、これは正しいとか言いたくなります。
けれども、絶対的な真理がないのなら、それって本当に正しいのか分からなくなる。
正解、間違いは作ってもいいけど、それはその分野の正解、間違いでしかないことは重要です。
つまり、僕の言いたいことは、全てが正しいことであってもいいと言うことです。
それは例えば自分が過ちをおかしたとき。絶対的な真理があるのならば、それは間違いと非難されなければならなくなる。
けれども、ないなら、それは非難されなくてもいいし、新しい考えや、無理に苦しみとか考えなくてもいいとなります。
自分が悪いことをしてしまったなら、相手にいいことをしようとか。相手の幸福を願おうとか。
絶対に正しいことがあるのならば、非難されなければならないで完結してしまうんです。
あるアニメを見たんですが、犯罪者してしまった主人公が、いいことをしようって頑張るようなものです。
悪人が本当に悪いことを考えてるのか?ってわからないじゃないですか。
そして、悪いことをした人って、性格までそれになってしまったら、悪いになっちゃうと思うんですよ。
考えてることが怖いとか。サイコパスとか。
そういう分類、無理にする必要はないと思うんですよ。
つまり、同時にそれらが共存しててもいいってことです。
自分の考えを否定してしまったら、更にその考えが強くなるかもしれないし。
それよりかは、優しいそれとかも同時にあっていい。それ以外の何かがあってもいいと思えることだと思うんですよ。
悪い人は悪いにしかならないでは、ずっと変わることはないし、いい変化も起こせないように思います。
もちろん、それは、普通の人だって同じです。いいことというのを作り出せなかったら、悲しいじゃないですか。
いいことがなかったら悲しいじゃないですか。
悪い人の方が〜とかあっても、結局、それも絶対的な真理ではないんです。
真理がないなら、理想の道を進んでいける。それが僕には大事なように思えるんです。
一人一人が理想の道を進めるそれ。僕は一つ、創作にその理想を思ってるんですが、実際それもできると思うんです。
ドラマツルギーのように、人は感情的な面とか、精神世界すらも、人に頼ってるように思えるんです。
娯楽とか特にそうです。必要ないはずなのに、そう言った何かを求めてしまう。必要なのは食事とかそういうもののはずなのに。これがないと悲しくなったり、いいものじゃなければ批判したり。
感情的な依存があるように思えるんです。
他人の領域で、その感情すらも委ねられてしまってる。
そもそも、理想は何か?それを考えることの方が大事だと思うんですよ。
絶対的な真理がないからこそ、全ての人が幸福の世界があってもいい。
理想の世界について考えてもいいじゃないですか。
よく揶揄されてるのは、人はパンのために〜のように、外側の何かに依存してる時です。
内側の、自分でうみだせる何かにハマってたってそんなの悪いことだ。みたいなことはあまりされないように思います。
だからこそ、自らで作り出せる欲を
現実と呼ばれてる世界。それは制限の世界です。その中に自由を見出そうとしても、中々難しい。
しかし、自分の考えてるところ。それは違います。完全なる自由がそこにある。
対比される世界なんです。どちらもあるからこそいい。
僕の見え方は、世界はいつも変わってます。自分は変わってる気がしないのに。
しかし、その自由が、変化することによって変わると思うんです。
理想の世界について考えましょう。永遠に続く喜びについて考えましょう。外側ではなく、内側の。
それがあれば、どんなに長い苦しみであれ、喜びと変えることができる。
僕はそう信じています。今はできませんが、少しずつできていけたらなと思ってます。
ここまでで終わりにします
※タイトルについての僕の答えは、全てが絶対的な真理であってもいいということです。
それは、現実にない考えというのは、創作がになってもいいんじゃないかな?ということです。そうすれば、精神的な安定を作り出せる。
勘違いさせる人がいい世界もあっていいじゃないですか。悪いと言われてることがいい世界があってもいいじゃないですか。
例えば、怒るだって、運動とかにすればいい力が出るかもしれません。走るとか。意外と嫌だな‥思わずにその怒りの力が発散されると思うんですよ。
サイコパスな面ですら、使い方によってはより良くなるかもしれない。(悪く使うとかそういうことじゃなく。例えば、優先順位考えるとき、動物にも命がある。植物にも命があると言われたとき、まずは動物を大事にしようみたいな。できるのは一つ一つしかない訳ですし、植物は動物の後でもいいって思えることは大事なのではと。)
この世の全ては肯定でき、否定もできるんです。
人に必要なのは行動よりも、考え的納得や、複数選択肢が存在し、敢えて選択しないことも重要なのではないかと思います。
創作的、世界がより良くなること。僕はそれを願います。
ここまでで終わりにします。