古代に居た弁論家達。
僕は創作的に見ればその人たちは理想だったのではと思います。
そのことについて語っていきます。
聞いた話によると、人々を説得する能力。それが弁論家達に重要だった。そして、その中には嘘をいれてもいいと。
彼らの欠点は、どちらがいいか?という点にあると思うんです。正しいこと、間違ってること。
それらは勉強にとって必要ですが、物語的世界観には必要ないような気がします。
創作的価値観に必要なのは何か?
面白さ、自分が没頭できるか、要素。それらの中には嘘があってもおかしくない。
考え方によっては物語を書く人はソフィストにもとれると思います。
ただ、腐敗したと聞くと悪いイメージがあります。
これについて、あくまで共通認識(創作という)が必要で、間違い、正解かを気にせず、どちらもいいという価値観があればまた違ったものとなったと思います。
だからこそ、その2つの元に、ソフィストになること。それが理想なのではないかなと思います。
そもそも、人間は間違いを沢山おかすのに、正しさを‥とするのは逆に良くないのではと。
正しさは学問というものに頼り、もっと心や人間性は創作的にあっていいんじゃないかなと思います。
心のあり方や、考えることは完全に自由なんです。あまりに感情のない何かに感情を付加したりは良くないのではと。
人が楽しく、そして、自らの向かう先に進められること、それを望みます!
終わりです!