なまけることについて

今日はこれについて考えます。

なまけるとはどんなことなんでしょうか?

動いてない人?そう見える人?

けれど、ネット上で悪口ばかり言ったり、愚痴ばかりだったり‥。

そういう人はどうでしょうか?

家庭内暴力も良くないですけど、なまけるとの見方をすると、なまけていないとの見方もできてしまいます。

なまけるとはどういうものなんでしょうか?

今日も創作と交えて話していこうと思います。

相手が楽をしている。

そう判断すること。ありませんか?

相対的に見て、楽をしてそうなら、その通りだ。そんな主張もあると思います。

けれど、創作的に考えて、楽をしていると考える人と、楽をしているし、楽をしていないと2つ思う人。

どちらの方が楽をしているのでしょうか?

一つ考えるよりかは2つ考えていた方が、楽をしていないと捉えられるのではないでしょうか。

つまり、なまけるとは、目に見えるものと、目に見えないもの2つあるように感じます。

安直にどちらかを選べば、一方が駄目になってしまう。結局のところ、どちらかを選べばなまけることをしてしまうと思うのです。

そもそも、人はなんのために頑張っているのかという話もあります。

楽をするためではないでしょうか?

今より何かを楽にするため。

苦しいだけなんて人は求めていないでしょう。

僕は以前、この言葉を考えてました。

人の喜びは苦しみのところにあるが、大きな苦しみは求めていない。

つまりは、自らに課す苦しみであるか、外側から与えられた苦しみであるか?ということです。

外側から与えられた苦しみが快楽は望ましくないです。

ほしくない時も与えられ続ける。

それなら、自らに与え続ける苦しみの方がいいと思います。

 

前の、ネット上は悪口ばかり、愚痴ばかりというのに戻ります。

これは望ましくないです。そんなふうに悲しい気持ちを自分に与えてしまったら、幸福に生きられないでしょうし、自分を傷付けてしまいます。

家庭内暴力もそうです。一時的には良くても、長期的には、恨まれたり、トラウマを与えてしまったり。人間関係も悪化する可能性があるため望ましくない。

楽をしているのは誰でも同じです。

それは仕方ないこと。

どうしても避けられないことなんです。

それなら、どうしたらいいのか?

僕はこのように思います。

理想を目指すこと。

つまり、いい人間関係を築いてるのはどんな世界か?楽しい世界にするためにはどんな世界であったらいいのか?

優しい世界はどんな世界なのか?

創作の中で、自分が思う理想を作り出すこと。それがとても大事に感じます。

クレーマーも、家庭内暴力も、言えると思うことは、相手に求めてしまってる。

悪口よりも、どんな相手だったらいいのか?愚痴を言わないためには、どういう感じであったらいいのか?

僕が必要だと思うこと。

それは創作性です。

人間には創作性が何より必要だと思うんです。

理想の世界、その世界はきっと、創作性があればつくれる。

僕はそのように思います。とりあえずここまでで終わりにします。