今回はそれについて話していこうと思います。
単純に物事を考えていいんでしょうか?
僕はいいと思います。
というのも、創作的に考えれば、実際に行動する必要がないからです。
知ってもらう必要もないし、自分内で完結できるところもある。
特には、間違いとされる意見。
それに関して、ずっと間違えとされた説みたいなのがあります。
けど、創作の中では存在してもいいのでは‥?と思うのです。
だからこそ、その人の心の安定を。そして、間違いとされることですら、他ではいい意見だったり、発見されてない正しい考えである可能性もある。
それは誰にも分からないし、正しいことなのかもしれない。
結局、分からないんですよ。
こうなればこうなる。
創作の中であれば、そういうのを沢山出していく。
その中で見つけた面白い考え。そういうのを見つけていって、真実だと思うなら試してみたり。
単純化は悪いことではないと思います。
創作はすべてを許してくれる。
つまりは、全ての人の共通観念としてそれがあることが問題なのであり、絶対的な真理として君臨していることが問題なのだと思います。
一つの考えが、これが正しいとなっていると、これ以外の考えはいけないみたいになってしまう。
けど、創作であれば、全ては許される。考えの上では。となる。
単純な考えも、複雑な考えも全てが許されるんです。
最近は人が環境を壊してるとか話を聞きますが、創作であれば、そもそも、紙を必要としない。相手は誰もいらないんです。
合わせる必要もない。だからこそ、自分の本当にしたいことに向き合える。
よくよく考えてみれば、いつも、人は外側の何かを求めています。
娯楽であれ、自分の理想像であれ、心の中の快楽であれ。
ですが、結局はそういうものって中々得られない。
それは仕方ないことです。
だからこそ、創作がある。都合のいい世界だからこそ価値がある。
単純に考えていい。
何故、外側にしか欲がないと思うのでしょうか?
もっとそばに、創作という自由な世界があるのに。
無理に外側に求め、内側にはないと考えるのは良くない。
外側に求めるのもいいことです。しかし、得られないときがある。
そんなときは内側に求めること。それも必要な気がします。
大きなところは内側に求め(創作)、小さなところで外側に求める。
創作的あり方。
そして、単純に考えること。
僕は時にそれも必要な気がしています。
終わりです。