これについて話していこうと思います。
これってよく理想主義とともに語られることが多いですね。そもそも、現実主義って何なんでしょうか?
現実を見たことを言う。それが現実主義何でしょうか?
でも、それは、現実主義のように思えません。そもそも、現実なんて本当の意味で見れてる人なんて居ないと思うからです。
例えば、この世に住んでる全員が、明日人類が滅亡すると思っていたとします。
それって事実なんですか?
みんなが言ってたから事実になりそうな気がしますが、実際に起こってない以上、それは事実ではない気がします。
そして、苦しいことの方が現実と考えやすい。
不快な気持ちを持っていた方が、何かをしてる気持ちになりませんか?
本当であれば、嬉しそうにしてるほうが理想的であるはずなのに、苦しいことに逃げます。
思えば、褒め言葉を聞いたとき、自分はそんなことはないとか、勘違いして、あとで恥をかくみたいなことだってあります。
けれど、それによって、褒めたやつが悪い、相手は勘違いさせたとなります。
悪口だってそう。相手が悪い。みたいになりやすい。
そもそもが、人は悪いことの方が残りやすいんです。それを考えてた方が楽な部分は否定できない。(もちろん、いいふうに考えるのが楽な人がいるのは否定できないかもしれませんが。)
褒め言葉を言って、最後に残るのが悪い気持ちって言うのはおかしいことだと思いませんか?
悪いことの方が楽だから、どちらかというと快楽の方によってるから。だからこそ、現実という嘘にのまれてしまうのではと思います。
現実というもの。それを理解しようとしたり、これが現実だと言おうとしても、悪いこと、いいこと。どちらも存在することこそ現実なので、それは本当に現実だとは言い切れないような気がします。
誰だって、未来は知らない。それをいいあてようとしても中々できることではありません。
そして、適当に書いてたそれだったり、何も思ってない方が現実に起こりやすかったりもする。何が起こるかわからないのが現実だと思うんです。
しかし、現実主義とはそもそもなんなんでしょうか?
現実なんて見ることができない、当てることもほとんどできない。現実を見る。それは本当に現実なんでしょうか?
価値観として共有されてたとしても、本当にそうなるかなんて分かりません。
いきなり大きく変わる可能性だって無限にある。
ある意味、創作の世界こそ、未来に相応しいものではと思います。
そして、過去を見て、未来にいかす。
そういうのもありますが、過去は過去でしかありません。同じ失敗をしないよう気をつけることはできるかもしれませんが、全く同じようになることなんてあり得ない。
参加してる人ですら、今、居ない(と思うが)人達なんです。その時の価値観や、考え方がある以上は今いない人達なんですよ。どう考えてたかすら分からない。
だからこそ、言葉の裏の感情とかもわからないし、考え方まで同じにする必要はないと思うし、より良くなった部分は喜んでもいいんじゃないかと。
現実主義なんて、本当に現実を見てるのか?と言ったら、現実なんて見れてない、嘘の現実主義でしかないと思います。
理想主義ですらそう。
本当の理想なんて見れてないし、本当にそれがいいかなんて分からない。
僕自身、理想の世界を物語にしようとしてうまく行きませんでした。逆にこれで本当に理想なのか?と言われたらわからなくなってしまう。(僕にとって理想とは、自らの意思で、欲を作り出せる状態。何ものにも囚われず、意図的に全てが自分の力で与えられる状態を思います。→特に感情面や、精神世界に於いて。)
価値観として共有された、これは違うみたいな考えからだと思いますが。
だからこそ、現実と理想。それを考える必要があると思うんです。
つまりは、現実とは、そもそも存在しないフィクションです。
理想すらもそう。人の考えるという行為とか、分からないものである以上は現実とか理想とか言えない気がします。
絶対的な真理は存在しない。そう言われてるのに、これが理想だとか、これが現実だ言うのはおかしくありませんか?
だからこそ、理想と現実を考える。
例えば夢とかって理想じゃないと思うんです。
こうなりたいとか言うけど、物語で本当になってる姿を書き続けられるのか?って。
本当にやりたいことなら、その姿すらも書き続けられると思うんです。
賞賛ですら、自己完結できます。
夢って、物語の中で、自分が登場すれば、全て叶うんですよ。
これが叶わないと言うなら、数学とか算数の話を考えてみてください。
1+1=2
1+1=田
1+1=10
説明がなければって話になりますが、どれも正解になります。
漢字が答えであればそれは二番目の答えになりますし、算数世界で考えれば2になりますし、数学に登場する二進法の世界であれば10が答えになることもありえる。
現実ってなんでしょうか?
他の世界を作り出せば、それが事実でないことにできます。
数学と理科とかって全く同じ価値観なんでしょうか?
人が考えてることって、大体は一つの世界での真実でしかなくて、絶対的に、全てに於いて正しい考えではないんですよ。
犯罪だって、物語の中では平然に行われてたり、ゲームの中には非人道的なものすらある。
けれど、これは悪いことだ。みたいにはあんまり言わないですよね。
勿論、規制は必要だと思いますが、前にこんなこと言われました。現実と区別を〜とか。
そこから考えても、一つのことしか考えられないように思えます。マルチタスクとかありますが、一つの分野での正しいでしか話せないでしょうし、他の分野では間違いになることも平気で話せるように思えます。
そもそも、現実ってなんでしょうか?
物語の世界では、登場人物にとっての現実がそこにある訳で、そこもある意味、現実ととれるはずです。
絶対的な真理がない以上は、夢が現実であってもいい。創作や、自分で扱える世界ってのが現実であってもいいと思うんです。
理想の世界、それを追求していく。思い通りになる世界から、新しい喜びや、理想の世界について探求していく。
思い通りになる世界こそ、試してみて、現実に適応させていく。
僕はそれこそが人間的にあるべき姿で、現実を見て、理想も見ている最強の考えだと思ってます。
本当の現実主義であり、理想主義である。
僕はそれが、創作学でならできるそう思ってます。
結構おかしなこと、破綻してること言ってるかもですが、それも許される!笑それが創作学です。一人一人が楽しく生きれたらいいな!
ここまでで終わりにします。