この世の理不尽さについて(創作)

まずは関係ないんですが、この世界を一つの平和の世界にするためには、スポーツが戦争の変わりになればいいんじゃないかなと思います。もっと言えば創作の世界がもっとも理想的な世界だと思います(※これは勿論、何か特定の物語とかじゃないです)

本題に入りましょう。この世の理不尽さ。

感じたことがありますか?

僕は何度もあります。いいこともありますが、矢張り、理不尽に感じること、沢山ありますね‥。

でも、そういうのって、すべて、共通していえることがあるんじゃないかなと思います。

それは誰かの意図が入っている。と言うことです。特には問題を起こす宗教とか、偏った思想とか。

ブラック企業と言われるそれらもそうなのかもしれませんが、自分ではどうすることもできない。

変えられるはずなのに変えられない。みたいなところにこそ、理不尽さがあるように感じます。

これについて、とあるゲームの話をします。

レート戦、それがとても沢山やってる人優位だったり、負けたときの減りがえげつないんですよ。2倍以上もしなければいけないみたいな。

以前の(似たゲームの?)二の舞にならないためでもあると思うんですが、それでも、厳しい。自分より格上とも平気で〜ですから。

ただ、色々学ぶためにはしなければいけなかったり(新しい知識を得るためにも)、報酬もあるため、やらなければいけないみたいになってる。

やはりは、これはプレイヤーによって変えられるものではなく、そのゲームを運営している人によって変わってしまう。

そんなどうしようもないところに理不尽さがあるように思います。

運営する人側にも、苦情とか、より良くしようとしてるのに意見が変わらないとか、どうしようもないところとかあってそこに理不尽さがあるとも言えます。

ある意味で、提案や、より良いところを褒めるを忘れてるとアビリーンのパラドックスみたいなこと起こりかねないのでしょうね‥。

一応はこの事からも、自分ではどうしようもないところで、理不尽さを感じるのだと思ってます。

スポーツでも、ルールとか、変えられないところに理不尽さがありますね。こうだったら良くなるはずなのに。変わってくれないとか。

だからこそ、完全には、払拭できないとは思っています。

オーディションとかでもそうなんですが、審査員がネガティブに挑もう。悪いところを見ようみたいに、正当な評価ではなく、ネガティブなところから見て挑めば、それがどんなにいいところがあっても評価はされません。

理不尽さとは、どうしようもないところにあると思うんです。

本当であれば、優しく、すべての人に平等に価値がある。みたいなものだったら、変わってきますが、それはしづらい。

そもそもが、人間関係による統一や、学問など外側のものに一生懸命になる。自分を中々見れないものが多ければ矢張りは理不尽さというものも沢山出てくると思います。

勿論、いい人が集団内を支配すれば、その集団はより良いものとなると思います。けれども、不確定要素が多すぎるんです。

それを求めるのは中々難しい。

でも、だからこそ、創作が必要だと思うんです。創作といえば、悪いイメージもありますが、それって言うのは本当の創作なのか?ってことがあります。

結局は人によって作られたものであって、自分の理想ではないんです。あわせなければいけない。

僕の考えている理不尽とはそういうものであって、あくまで理想はそれではないんです。

つまりは、自分内にある創作(完全に自由)こそ、理不尽さがまったくない世界であり、全ては自分の意志で決められるところにこそ、本当に価値があるのだと思います。

夢は現実では中々叶いません。しかし、創作であればどんな夢も叶う。

創作の中で叶っても仕方ないと聞きますが、本当に創作の中で叶っても仕方ないのでは、現実で叶っても仕方なくなってしまうのではと。

創作でも続けていける、理不尽さをもくもくと続け、更には創作で、そんなことを沢山書けるからこそ成し遂げられる。そんな人にこそ、現実でも夢を達成できるのだと思ってます(偏見ですが、個人的に、創作的で好き)

自分の都合のいい世界。それは悪い部分を一切見ず、どうしたらよくなるか、理想のそれらをかき集め集合したそれであると思います。

人のいいところを見つけたら、その部分をとりいれていく。だめだったら他で補う。

最終的にはテセウスの船的になるかもしれませんし、元とほとんど変わらないものとなってるかもしれません。

ただ、本当に都合のいい世界です。

すべての人が都合のいい世界を本当の意味で創造できるのであれば、世界は理不尽さなどなくなっている。そう思います。

中々難しいですが(よくやっちゃうので)、創作(抽象的なもの)を、絶対的なものとし、外側を2番目に置くこと。

それがこの世のすべての人ができれば、理不尽さはきっとなくなると思っています。

この先、誰か分からない一人の意思により成り立つ世界でなく、すべての人の意思によって成り立つ理想的な世界になることを望みます。

スポーツのルールだっていくらだって変えていいんです。あくまで理想を目指しましょう。(現実で無理なら創作で!)

追記

人は、皆、幸福を目指しているはずなのに、わざわざ悪い部分とかを肯定しすぎるのは良くない。

勿論、人には良くない部分はあるが、時にはとらわれないことも重要。レ・ミゼラブルジャンバルジャン(名前違ったらごめんなさい)のように、悪い気持ちがあればより良くみたいになって欲しい気がしています。悪いことをしたと思ってるからこそ、幸福をと。僕自身もそうでありたいと思ってますし(昔、嫌なことしてしまったな‥思うこと結構ある。)そう考えることでも大切なのではないかなと思います。

平和ボケなんて煽りもありますが、それが、理想的であれば問題はないでしょう。

人それぞれが幸福に生き、愚痴を言わない。理想的なそれであったならば、平和ボケも理想的であると思えませんか?

僕はそう思います。特には創作こそ、理想的であったほうがいい気がしてます。

とりあえず、ここまでで‥(また追記するかも。)

※悪い部分があるのは仕方ない。

逆にいい部分、悪い部分を意図的に作り出せれば理想的なそれになると思ってる。例えばドジだったり、ナルシストだったり。そういう部分っていうのは、相手が絡まなければ全然問題はないもののように思います。(ナルシスト→君に惚れられてしまった→思い込みで決めつけるみたいな。)

意図的に悪いはずだけど、悪くない部分を作るみたいなことです。いい部分と欠点が自分で作れることは理想的ですね。