前回は新しい学問について話していきましたが、今度は、新しい宗教を作りたいと思います。
ですが、どちらもある、そんな宗教を作りたい。
具体的にどんなものなのか?
前回は創作学でしたが、今回は創作教と名付けましょう。(もっとしっくりくるものがあればそれに変えますが。)
そして、創作教について語っていきます。
これは自由な世界&宗教(神話も…?)を合わせた考えです。
僕はこの考えを一つ、宗教問題を解決するのではと思っています。具体的にどうしてそう思うのか?
それは創作の世界を考えた時です。物語の場合、逆に違うことは求められることですし、他に色々な世界が存在しても別にいいじゃないかと。
そこには、寛容さがあると思うんです。勿論、寛容でない人も居るかもしれませんが、事実として、色々な人がいるように、物語もそれを好きだと思う人がそれぞれいる。
つまり、創作のその面が適応されれば、他の宗教も全てを肯定できるということです。
僕は創作のその面に期待している。
僕は神話や、宗教は案外好きな部分が多いです。ギリシャ神話といえば星座になってたり、物語も豊富。宗教も物語的な面や、新しい考え方を思いつくきっかけになる。
それは紛れなく事実です。
特別な部分を持っている。
一部分だけ見れば苦しいこと、嫌なことも書かれているかもしれません。けれど、いいところも紛れもない事実なんです。
多くの宗教のいい部分だけを集めた理想。それこそが目指す一つのもの…。
創作教とはその一つを期待してます。
そして、この宗教の神について。
どちらもあるとかきました。ふわっとしています。具体的にはどんなものなのか?
それは、全ての人が、神になること。
信仰するのは、物語に登場する人々であったり、実在し、共感してくれる仲間であってもいい。
物語を作った時、その作った人物は、その世界に於いての神となります。その世界では夢はいくらだって叶えることができるし、人だって自由に言うことを聞いてくれる。
物語と(作った)人間との関係は、神と人の関係であるからです。
神話だって作っていいし、作るためにどんなことをしたかだって考えていい。
許す相手は他人ではなく、自分。
理想を考える事こそ、人間にとって重要なことなんです。
あまり深く語れないので、一応、ここまでで。
最後にどうでもいい、この考えを思いついた理由について語ろうと思います。
何故思いついたのか?
それは、神が人間なのではないか…?と思ったからです。神話や、宗教に関係するものは、人間が書いてたりなんて、その場合があります。神を人間が書く。
立場が逆転しているように見えませんか?
その世界では、神を超える神(人)が登場していると言えると思います。物語の中なので、その世界では、絶対的事実となりますし。
勿論、これは、一人の人が書いてるのか?複数人で書いてるのか?とかもありますが、どちらもあり得ると思います。
複数人で書いて、最終的には一人で書くようになった。一人で書いて、最終的には…とか。
複数人で書けば、こういう物語も作れるんじゃないでしょうか。能力はこの世界で生きる人達よりも高いでしょうし。
とりあえず、ここまでで終わりにします。