この2つについてどう思いますか?
僕は広告に関しては過剰な広告、不快な広告などが問題に感じます。
フェイクニュースも、(暗いニュース、ネガティブなニュースなどもですが)矢張り、なんだかな‥と思います。
これらは完全にする人が悪いと思うんですが、逆に、心的なところで、負の方向に考えが向きやすいところも問題なのではと思いました。
勿論、完全にできはしませんが、悪い情報を見たとき、自分に無関係なら、ポジティブな情報を考える(つくりだす。)
そして、自分に関係あるなら、それに則って、自分にとってより良い選択をとる。それがいいんじゃないかなと思ってます。
コロナ注射の問題なんですが、悪いか、問題ないか。出ないようにとか、そういうのって絶対避けられないでしょうし‥。
正しい情報とか言っても、結局わからないので、個人に任せるしかない。したほうがいいと思うなら自分の意志で決めること。それも重要なのではと思います。
フェイクニュースや、そういった広告って、炎上系、騒がせ系がよく見られてしまうということに少し直結してくるのではと思いました。
重要なのは新しい考えをつくること。
悪口を言われたなら、逆の何かを、反対意見なら、その反対の考えをつくりだしたり。
そういう炎上商法したりは続かないと思ってます。短期的には良くても、長期的には厳しい。
言い換えると直接性は一時的にはいいかもしれません。けれど、長期的を考えるのなら、抽象が大事なように思えます。
僕は一種、何故、人は負の方に考えて言ってしまうのか?
その考えについて一つ思ってることがあります。
現状維持思考。それが負の方向に行きやすい考えなのではと思います。これは現状を守りたい。その思いから、逆にマイナス要素排除するために悪い情報にアンテナはるようになるんですね。(自分の体験。※根拠はありません)
そして、いつの間にか、悪いことばかり考えてしまってる。
戻れなくなる前にそれは辞めておいたほうがいいかもしれません。
今、目の前に喜べるものがある。今は無事なんだって事実がある。
それは誰がなんと言おうとそうじゃないでしょうか‥?
僕は創作学的考えを主張します。
フェイクニュース、不快な広告(過剰な)。など何についても言えることです。
悪い情報が前に出てきたとき、人は、安心できる考えが出るまで、それに注目していないといけない。
それは作り出すことができないからです。いろいろな考え、それは目の前にある悲しい情報。それから、真逆の考えを‥。
本当だったら、いくつも考えが同時に存在していいのに。
それはとても悲しいことです。
楽しく暮らせる人、それが増えることを願います。
とりあえず、終わりです。