教えることについて

今回はこれについて語ろうと思います。

教えること。勉強とかそういう面ではとてもいいことだと思います。そして、仕事とかそういうところでも必要なことですね。

新しい価値や、見方を与えてくれる。

多くの面でとてもいいものだと思います。(隣の人に教えて言われて、教えられなかった苦い思い出もあります‥。そのときはコミュで自分がしたら迷惑だろうなと感じてた‥)

逆に創作的に教えることについて考えたらどうなのかを書いていこうと思います。

創作的に、教えることって言うのは悪いことのように思います。

というのも、新しい価値観はうまれるんですが、自分がうみだしたものとは違うんですよ。

一つの価値観を教えるということは、他の可能性を排除してしまう。

例えば、僕は、習ってもない解き方で必死に数学の問題をとこうとしました。

それをやって解けた問題もあれば、解けなかった問題もあります。勉強的に言ったらそれは効率の悪い行動なのかもしれません。

けど、公式の通りに、誤らないよう、そっていく。それって創作的かな?って思うんです。

色々な考えがあっていいというものでもあるし、公式によって、他の解き方や、考え方が排除されているとも捉えられる気がするんです。

あくまで公式って言うのは“現時点での最適解”でしかなくて、新しくより良いものが出てきたらうつり変わるようなものに思うんです。

いくつも考え方、解き方はあっていいと思うんです。もちろん、公式でも、複数解き方はあると思いますよ。

けど、他の可能性という面では‥

長くなるので止めます。

とりあえず、勉強ではなく、創作の面から、何故、教えることが悪いことなのかを語ります。

物語について、色々な見え方ができるからが一つあります。

伏線が沢山ある漫画って、その一つ(一部)の伏線から見ると、色々な世界が広がってると思うんですよ。

そして、抽象化して見ても、こういう見方ができるんじゃないか?と。

その人の立場についても、見え方が追加されます。

例えばものを売ってる人、数学が好きな人とか他にもさまざま。色々な見え方があっていいんです。

けれど、教えるという行為は、その見え方を否定し、この方向に進んでくださいと固定化させてるようにも見えるんです。

もちろん、創作性があれば違うかもしれません。

しかし、多くの人には創作性があるように思えません(僕含めて。)

だからこそ、創作の中では悪いことなのではと思いました。けど、いい面もあるので、悪いからしてはいけないとは言い切れません。

例えば、一つの見え方をもらうことで、新しい見え方がうまれること。

そういえば、この考え、ずっと分かってなかったけど、これを踏まえたらこう見ることもできるのでは?みたいなことです。

それは否定出来ません。

なので、あくまで、創作の中では、教えることは悪という前提が必要な気がしました。

そもそも、ネットではデマ情報もあるため、教えることが悪となりやすい状況にはあると思います。なので、必要ないと言えば必要ないかも。

創作性というように、一人一人が一つの固定の考えに囚われず、新しくうみだせること。

それが何よりも重要だと思うんです。

ここで終わりにします。

何かあったら追記。

 

ここでは、“教えること”を悪と書きました。だけど、その悪というのは、絶対にしてはいけないことではありません。

人は悪いことをしてしまう以上、どれだけ負担にならない悪を自らに作り出せるか。

それが重要だと思ってるんです。

どんな人でも悪いところがある。

だからこそ、自分に、ドジだったり、ボケてたりみたいな部分を追加してみる(そういうのって、他人が介入してこなければ悪いこととは言いづらいみたいな。)

そういうのって大事なんじゃないかなと。

考えようによっては全てが悪になってしまうんですから。自分の意思で適度な“悪”と“善”を作り出せること。

僕はそれが理想だと思います。

終わりです!