これについて語ります。
このことについてはめっちゃ思うところがあります。(何回か出すことになるかも)
特に物語とか見ると、創作の良さを使えてないんじゃないかなと思うんですよ。
それはつまり、創作って完全に自由な世界です。
それなのに、自由に使おうとする人が少ないんです。
無意味に物語を長くしたり、苦しみに焦点をあててる感じがしたり。
物語の中って、夢とか全て叶うはずなんです。
それなのに敢えて、夢は叶わないとか、無意味に苦しい過程を書いたりする。
完全なる自由な世界なら、本当に何がしたいのか?それを考えることも必要な気がします。
というのも、ただただ快楽なだけは物語として続きません。
だからこそ、自分の形での幸福を。
それは自らの意思で苦しみや、快楽を作り出すところにあります。
同時存在の許容。それが、物語に於いては、重要なものだと思っています。
何故、人に認められなければ、喜びを得られないのでしょうか?
何故、人に認められなければ、それはしたことにならないのでしょうか?
子供の時は、どうでもいいことのはずなのに、面白いと感じられていたでしょう。
自由とは外側にはないんです。自分で考えるところにしか本当の自由はないんです。
誰かが作った娯楽、勉強ですらそう。
それらは自分がうみだしたものではないです。一時的には喜びがあっても、嫌なところはあるし、相手にあわせなければいけません。
勉強なんて、考えようによっては、そういう中性的な思考ができるが、寄り添ってあげないといけない、人間が介助してるようなそれにも考えられます。
何かを得るためにそれはとてもいいものですが、本当に欲しいものは、自分が与えてあげないと手に入りません。
渡せるのは自分自身でしかない。
それが本当にできること。それこそ、物語だと思います。
しかし、現実の物語には自由がない。
特に、話が破綻しないようにとか、パクリにならないようにとか気にしなければなりません。
これはどうしようもないことですが、時には気にしないような何かを作ったり、なるべく都合のいいそれにするほうが気が楽なのはあるでしょう。
あくまで一つの考えにとらわれない、自由さを求めること。僕はそれが重要だと思います。
すべてを同時に許容する。それはつまり、現実にあり得ないからこそ存在する、無意味領域に手を伸ばすこと。それを考えてます。
意味のあること→わかりやすい共通概念です。お金が手に入るとか、結果が出るとか、犯罪もある意味悪いことだから意味があることと言える。
無意味とは何も意味をもたないと思われること。感情が全く無いこと。それを重要視する。物語に求めたいのはそこです。
しかし、不可能なところはあるので、よくわからない悪と(こんなこと言ったら恥ずかしいみたいな→可愛いことを言ったり)適度なポジティブなそれを入れること。
それができれば物語としてよくなる。そう思ってます。
とりあえずここまでで終わりです。また違うところで考えたり書いていきます。