LGBTや、障碍を持った方などの問題について

最近、よく見かけるので、今回はこれについて、僕の創作の考えを交えて書いていこうと思います。

LGBT同性婚とか、色々これをしようとかそういうのには賛成です。しかし、考え方を共有しよう、これはおかしいみたいにするのはどうかな‥と思います。

たまに聞く話で、新しい差別が出てきてしまう可能性があるんです。それは否定できない。

考え方としてあってもいいと思いますが、あまりに気にしすぎるようにと考えていくのは矢張り問題でしょう。

(※ちなみに、僕が聞いたのは、同性婚LGBTの理解を広めること。なので、他のことは知りません。だからそのことしか話さない。)

僕はこの問題も、全てに関して言えると思うのが、創作学的思想です。これがあれば、新しくみんなに学ばさせる学問を作る必要がない。そう思います。

どういうところがいいのか?

それは同性婚とか。同時存在の許容という考えを他で書きました。反対のこと。それも同時に存在していいと言う考えです。

つまりは、考えの許容がしやすくなるし、多様性も認められるようになる。と言うことです。

差別はいいのか?とも考えられますが、もし、いいところも同時に考えることができたら?

そもそも、その“差別”に囚われなくなるし、考えを一々否定する必要がなくなるんです。

つまりは、その差別の反対になることが考えられれば、その人は差別主義でなくなるんです。

そのためには、2つのことを同時に持つ。選択しないことが重要です。

さっき考え方の共有について言いましたが、これ自体も、存在していいと思います。

ただ、みんなに、学んでもらおう、こうして差別をなくしていこう。それは流石に厳しいと思います。

矢張り、そこら辺は、創作的価値観として、こういう考えも存在していいですぐに共通観念としなくていいのではないかと思います。

もし、できるなら、その人(当事者の方)が些細なことから確かにとか納得させていくことも大事だと思いますし。

確かにこの世界は理想的だ。そうしたい。そう思えたら、自然となっていくと思います。

ただ、問題なのは、差別の方です。これをどうやって解決するか?

言う人は変わらないでしょうし、厳しいところがあります。

だからこそ、炎上商法や、悪いことに反応しない人間性を共通として持つことが重要な気がします。

物語の世界とか、バラエティとか、沢山ある訳ではないかもですが、そういう刺激したものが多い気がします。

前までは、規制みたいなの無いとき、そういう好きに言ったり悪くいったりもあったようですね。

コンプレックス刺激や、不快な広告もあります。

娯楽物がそういうものが多いのはどうなのか?

特に有名な漫画は戦い系で登場人物がボロボロになったりする。

そういうものにはまらない。それはつまり、創作性の共有が重要な気がします。

炎上商法に引っかかってしまう?とか、嫌なことをされてもって、多分、人がそうされたとき不快な気持ちになって終わるからだと思うんですよ。

それはつまり、新しい考えがうみだせない。だと思うんです。

悪いことされても、自分は幸福だから反応しないみたいな、なんていうんでしょう。

真逆の考えを同時に作り出すこと。それが大事で、悪いものと、いいもの。

場面で起こったら、いいものを作り出す。

塞翁が馬でいい話を聞きましたが、悪いことが起きたとき、いいことが起こるかもしれない。いいことが起きたとき悪いことが起こるかも。みたいな話ではあります。

どちらも作り出せれば、人は何かに囚われることはなくなる。そう思います。

つまりは創作性が人には必要である。と言うことです。

(あと、トイレに関しては専用作らず男女使えるみたいなのでいいのではと思いますが、、問題もあるかもしれないのでなんとも言えません‥)

LGBTの話は取り敢えずここまでにします。

障碍を持った方について。

僕自身も障碍者のようなものなので、悪くは言えません。

まぁ、問題は何かを書いていこうと思います。

負の感情を持ちすぎるところ。そこに問題があると思います。悪口言われたとか、嫌なことされたとかに過剰に反応する。(僕自身にもあるところなんですが)

そこは問題かなと思うんです。

病気して長い人もそういうところはあると思います。けど、一々、悪いこと考える必要はない。そう思います。

それはつまり、嫌なことされたとき、一々悲しい気持ちになったら損じゃないですか。

相手に嫌なことされた挙句、気持ちでさえも嫌な気持ちになる。

それは最悪だと思います。

悪が居るなら、正義もある。ならば、そもそも、その2つが存在しなければ人に正義も悪もないんです。

だからどちらかが悪になったり、正義になったりする必要はないと思うんですよ。

混沌がいいのかってなりますが、上で書いた、同時存在の許容。創作的考え、在り方が大事だと思ってます。

悪と正義、それが自分の中にあれば、誰かに依存する必要がないんです。

2つを持った人、それが重要。

あと、自由だから、悪いことする。とかありますね。

けど、自由って、何か悪いことをする固有のことなのかな?って思います。

自由とはどちらも選べる状態であって、何かをすることではないと思います。

それはつまり、2つの考えを持てること。

その人は自由ではなく、その悪だけしかしてはいけないと強制されているんです。

そんな捉え方もできる。自分という指導者に“悪”をするように強制や、誘導をされていると思うんです。

だからこそ、僕は創作性が必要だと思ってます。

知能指数が高い子の一部は、マシュマロを食べるなと言われて、マシュマロを見なかった子と聞きました。(本当かどうかは知りませんが)

それはつまり、考え方の選択肢であり、その人に創作性がなければ、新しい何かをすることができないんです。

選択肢として、他のものがあれば、その悪いことをする必要はなくなる。

だからこそ、創作性。僕は何よりもそれが重要なことだと思います。

全ての人が創作性を持つこと、平等に価値があると思えること。

僕はそれこそ、本当に差別をなくす方法だと思いますし、この世を感情的な面で平和なものにする方法だと思います。

人類に幸あれ!

ここまでで終わりにします。