自慢や、ナルシスト、八方美人について

自慢や、ナルシスト。(八方美人は後で)どちらもなんかいい印象はないですよね。印象いいみたいな人はごめんなさいですが。

けれど、考えようによってはいいものになる可能性があります。

まず、自慢って言うのは、基本的に他人を介して使われる印象です。

自分が昔こうだったとか、こんな賞を取ったとか。実際、それは凄いと思います。

けれども、相手にとってはどうでもいいことで、嬉しいことを話してるのに相手には不快に感じてしまうのはもどかしいことです。

何かを喜んだり、あんないいことがあったみたいなのはいいんですが、必ず他人に言わなければいけないようなものには思えないんです。

特に僕が思ってるのは、一時的には活躍できてたが、落ちてしまった人。

ある意味、終わった人とも言えるかもしれません。

言われなくなった、賞賛されなくなった。

そういう人に対して嫌なことを言うのはあれですが、何も言われなくなったら、自慢してしまうのも仕方ない気はします。

(本当にどうかはさておいて。)

けれども、例え、終わったとしても可能性は充分あると思います。いくらだって。失敗したけど、戻ってきた人なんて沢山居るでしょうし。

そして、無理に他人に自慢する必要はないと思うんです。

たとえば、自分自身に、自分はこうだった。だから大丈夫。みたいに、自分自身に語りかけたりとか。

結局、自慢が悪いと言われるのは、他人を介するところで自分は凄い、みたいに言うのが悪いと思うんです。

前も言ったとおり、全員が全員それを聞いていい気持ちになるか?と言われたら分からないですし‥。

もちろん、言うことによる利点はあるのかもしれませんが、自分自身の精神安定のための自慢として自分に言い聞かせることもいい気がします。

そこには他人は介入してこれないし、思うことすら駄目だとなったら、本当に全てが制限の世界になってしまいます。

本当に凄い人は多分、自分自身に肯定も反省もできる人だと思うんですよ。(勝手に思ってる。)

→人からの賞賛を当てにしないみたいな(凄い人はどんな場面でも成功するみたいな話を聞いたことあります。)

自慢の話はここまでにしておいて、ナルシストにうつります。

僕はどちらかというと、ナルシストは好きな方かもしれません。

自分自身にいいねとか言えるって、なんかいいじゃないですか。上の自慢よりかは好きなんです。(振り返ると自慢はしてしまってた苦笑)

これも、矢張り、言えることは、他人を介してるところに不快感があるのではと思います。

特に、自分自身は凄い人間だ。みたいなこと。

なんか恥ずかしくなってくる。そう言ってる人は違うと言わなければならないみたいな強制観念みたいなものがあるのかもしれませんが(これは僕自身がある)、結局は他人が自分のことを、どう言おうと自分に関係ないんですよね。

でも、矢張り、不快になってしまうことはあると思うので、望ましくはないと思います。

だからこそ、自分自身に、人の介しないところで褒める。凄いって言う。

そういうのって大事な気がします。

賞賛を求めると、矢張り、自分で自分を褒めることはどうでもいいことになってしまうかもしれない。

だけど、外側に求めるのは中々厳しい。他人が自分に対して、正当な評価や、自分の本当に頑張ったところを見てくれる保証がないからです。

自分自身なら本当にいいところや、頑張ったところは見れると思うんです。だからこそ、自分自身に、心の中や、人の介しない場面で認めてあげること。ナルシストであることは必ずしも悪ではなく、逆にいいことである可能性があります。

もちろん、そればかりに囚われるのは良くないですが、大事なことだと思うんですよね。

一応、ナルシストはここまでにします。

そして、八方美人について。

僕は人と関わる場面に於いて、これは重要なことのように思います。

八方美人が悪いと言われる理由としては、ある人とそれ以外の人とで言ってることが違うからなのではと思うんですよ。

というのも、例えば牛乳好きと言ってたけど、違う人には大嫌いと言ったり(人によって変えるみたいな)。

けど、考えようによっては良くなるんです。

例えば、自分は逆の立場だけど、相手の考えに対してこんないいところがあるよね。みたいな。

ただ、相手のいいところを見るのは自分の考えには完全に反してないですし。

そのいいと思ったところを否定しなければ、矛盾はしません。

嫌いだからといって、否定しなければいけない。はただの思い込みです。(自戒的な)

それでは差別はなくならないし、より良い関係性を築いていくのは厳しいでしょう。

だからこそ、嫌いであってもいいところを見てもいいみたいな(その逆も然り)価値観は必要だと思います。

そして更に、だからこそ、八方美人って、悪い位置にありながらそれができるいい位置にあると思うんです。

悪いところなんて言う必要なんてないし、あくまでいいところを見続ければ、矛盾は起こりづらくなると思うんですよ。

人間関係について、ずっといいところを見続けるのは可能だと思いますし、そもそも、嫌な意見の時には前に話した、こういう考えもありだ。みたいな相手の否定をしない肯定的価値観を作り出すこともできると思うんです。

無理な話には、現実逃避なんて武器もあります。話逸らしなど。

本当に無理な話は、無理してまでする必要はないと思うんです。

相手にとってもより良くないでしょうし‥。

とりあえずはそういうことを含めても、すべてを肯定しやすそうな八方美人。

それはとてもいい位置にあると僕は思っています。上手く使えればどんなものでも武器になる。

それは全てに於いてきっと言えることで、この世には肯定できるものしかないと僕は言えると思っています。(それは逆に否定もですが。)

理想的な世界、それがおとずれることを!

ここまでで終わりにします。