稚拙、恥ずかしいを肯定する!

僕はどちらもすごく気持ちあるんで、逆に肯定しようと思います。

こういうのって悪い感情とか、悪いことのように思えるじゃないですか?

でも、わかりやすいって捉えられて、逆にいいことのようにも思います。

恥ずかしいについても、僕は中立主義って考えを思っていたんですが、悪いことについても、恥ずかしいの感情で止められたら理想的に思うんです。

例えば、泣くのは(声を出さず)恥ずかしいとか、こんなことを考えてたら(子供っぽいこととか)恥ずかしいとか。

明らかに悪いことしたり、怒って不快にさせたりよりかは大分といいし、被害が少なくていいようにも思うんです。

人間は悪いところを作らないといけないようにも思うんです。

それをなくすことはほぼできない。

それなら、上記のように、意外と被害がないようなことをその感情を感じながらもやっていくことが理想的なのではと思うんです。

稚拙だからこそ、見える世界もあるし、子供っぽいからいいところもあるはずです。

恥ずかしいだって、自分の意見を言うとか恥ずかしいところはあるでしょう。

逆に悪いところがあるからこそ(恥ずかしいという)、できるところはあると思うんです。

僕は、逆に、そういう世界を突き進んだり、新しい世界をと思っています。

その中には、きっと、見えてないいい世界があるはず。

僕はそう思っています。

ここまでで終わりにしますね。