愚かだからこそ!(都合のいい見方についても)

僕は敢えて、愚かだからこそといいます。

例えば、都合のいいことばかりしてはいけないということがあります。それは本当でしょうか?

有名なアニメの中には、自分にとって嫌な人を居なくできるといった道具があるそうです。

こういうのを考えると、確かに都合のいいことばかりは良くないと考えてしまいそうです。

しかし、僕自身としては本当か?都合のいいことなのか?と思ってしまう。

というのも、相手がいなくなれば、自分の心を本当に安全にできるか?

それはあり得ない気がするんです。それはその人自身が都合のいい見方をできない結果であり、犯罪する人についても、自分が都合の悪い結果になるという見方をできなかった。

つまり、都合のいい見方を徹するとは、都合の悪い見方がそもそも存在しないその先であると思うのです。

例えば、相手が自分に嫌なことをしてきた。

それって都合のいい見方でしょうか?

僕は都合の悪い見方のように思えます。

例えばそれによって、相手を不快にさせ、自分自身も嫌な気分になる。

更には、その後被る色々な問題を見てないし、何よりそうすることによって時間が無駄になってしまう。

このように悪い見方をするってことはある意味で都合の悪い見方をしてると言えると思うんです。

まぁ、本題に戻りますが、愚かだからこそ。

これはどういうことなのか?と言います。

愚かだからこそ、やってはいけないとかあるじゃないですか。もちろん、上で書いた明らかに都合の悪いことはやらない方がいいと思います。

しかし、誰が困るかも分からない。それをしても意味の分からないそういう問題に対しては、ある意味、愚かであってもいいと思うんです。

僕自身、そういうの沢山してるからということなんですけど。

どういうことかというと、学校というシステム、それを敢えて、理想的なものとは何かを考えてみるとか。

こういう世界であれば今よりもよくなるとか。

もちろん、愚かだからこそ、何度も変えてより良いものに変えて言っていいと思うし、意見を変えちゃいけないとかだと、また更に逆の愚かさが現れて、悪い方向に進むとも思うんです。 

愚かだからこそ言いますが、僕は学問や、芸術の行き着く先は創作学であると言いましょう。

全ては事実であり、正しいことである。同じように全ては嘘であり、正しくないことである。

愚かであるのに、このようなことは言わない。愚かさを上手く利用できないこと。

逆にただただ悪いことに行ってしまうのは人間の問題であると思います。

だからこそ、僕は、敢えて、愚かであるからこそ、わざと困ることをせず、純粋に心に従い、誰とも干渉しない喜びの世界を追求していくこと。

それが理想に思うんです。

とりあえずはここまでです。

一応関係ないこととして、都合のいい見方について書きます。

僕はヴィーガンや、環境問題とかそういう問題に関して、都合のいい見方というものが解決する糸口になると考えてます。

というのも、ヴィーガンに関しては、すぐにする必要はなくて、ゆっくりと、未来には完全になくなるように変えていくとか。(すぐに変えようとせず、ゆっくりとなくしていく。反対する行動ではなく、代替へ。)

環境問題に関しても、悪いこと考えても、より良くするには‥?ということ考えられないし、沢山いいことについて考えていく。そういうことが大切なんじゃないかなと思います。